公開というより備忘録的にこのブログに書きとどめておくこととする。
「日本百名山」完登を意識し始めたのは、一度目の沖縄勤務のころからだから2001年以降で、2008年に100座完登して「深田百名山を登ろう」という目標は果たされた。
まだまだ若く、個人的に山登りに専念する意識が強かったら、すかさず、「日本二百名山」そして「日本三百名山」、これらに重なる山も多いだろうが「花の百名山」・「日本百高山(日本の山岳標高ベスト100)」へとチャレンジしていただろうが、なぜかその道を選ばず、2008年から20018年ころまでの約10年間は、マラソンやトレランで日本中を駆け巡る道を選択して、名山行脚には挑まなかった。今から思うとそういう方向性もあったかと少し残念である。
とはいえ、10代後半から60代半ばまでボチボチ歩いた山で、今から振り返ると二百名山や三百名山も知らずに登っていた、という山も少ないことが分かった。
「かぜねこ三百名山未踏峰空想(共有)登山」を進めて、関西の山にまで北上してきたが、このエリアでも結構なんだかんだで登っていたことが分かった。
具体的には、下記の11座だが、登った年については正確な記録がないのでおおむねの時期で記載する。
① 氷ノ山(№187)2回目の沖縄勤務時代(2013~19)にトレラン大会参加
② 六甲山(№284) 同上
③ 護摩壇山(№283) 和歌山勤務時代、和歌山最高峰という理由でほぼ車での登山(1987年ころ)
④ 伯母子岳(№186) 熊野古道小辺路縦走(2022)
⑤ 大和葛城山(№279) 金剛山とのダイヤモンドトレール縦走(2015年ころ)
⑥ 金剛山(№184) 同上
⑦ 釈迦が岳(№185) 和歌山勤務時代百名山八経ヶ岳とともに縦走(1987年ころ)
⑧ 山上ヶ岳(№301) 和歌山勤務時代登山&奥駆道通過点として(その先で断念)(1987&2020)
⑨ 倶留尊山(№280) 2回目沖縄勤務(石垣島)に曽爾高原のススキ~赤目四八滝トレイルの途中(2016年ころ)
⑩ 愛宕山(№277) 京都1周トレイル中に(2010年代前半)
⑪ 比叡山(№276) 京都1周トレイル中に(2010年代前半)
すべての山頂が懐かしく思い出されるが、倶留尊山は私有地なのか、頂上を踏むため関所のようなところで料金を取られた記憶がある。お金を取られたのは、今の富士山、日光男体山とこの山だけ。(せこい性格だからいつまでも忘れない)
「日本三百名山」決定は1978年、「日本二百名山」決定は1984年とのことで、20代のころにこの情報をしかと受け止めておれば、全山とまでいかずとも百名山やマラソン・トレランで全国を駆け巡る途中に追加で近隣の名山も大方登れたのではないかと、いまになって悔やまれる。
もう少し体力をつけて、未踏峰を含め、まだまだ登れそうな山はリストを作って登ってみよう。名付けて「老いらく百名山」か。
Youtuberの皆さんよろしくご案内を。
かぜねこ三百名山未踏峰・空想(共有)登山
高見山(たかみやま・1248m・日本三百名山№282)
関西のどの山の山頂からだっただろう。大峰山脈や大台ヶ原の向こうにとんがった独立峰が見えた。きっとあれが関西のマッターホルンとも呼ばれている高見山だったのだろう。バス停がある「たかすみ温泉」からピストンで登るのがいいのかな。関西の皆さんは、冬に山頂付近の霧氷を眺めに行くのが楽しみらしい。「東吉野村」か吉野からもっと東なんだ。遠いなあ。
「HAJIME/登山」さん提供 (たかすみ温泉⇔山頂)
青年と一緒に登った気分になりました。同行ありがとう。現代の若者は、「メッチャ~」「ヤバ~」「チョウ~」という言葉の多用でで感嘆しているのですね。今度おじさんも使ってみます。