太宰治「富嶽百景」において、太宰は冨士の評価値を上げたり下げたりと、その評価をくるくると変えており、「いったいどっちなんだ!」と、一読者として、彼の気分屋に疑問を呈したくもなるが、当時の精神上の不安定(私生活・文芸活動上の苦悩や時代背景等もろもろ影響して肉体的にも精神的にもボロボロ状態)がそうさせているのあると推察されのであり、そこがこの小説の味わいでもあり、素直に受け止めようと思う。
太宰が富士を持ち上げた箇所で、オイラは彼が文学青年たちに誘われて山を下り、麓の富士吉田市内で過ごした夜、外に出て富士に面対した描写が好きだ。
「そこで飲んで、その夜の冨士がよかった。・・・・ おそろしく、明るい月夜だった。冨士が、よかった。月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。冨士が、したたるように青いのだ。燐が燃えてゐるやうな感じだった。・・・」
彼が評価したのは、富士吉田市内から仰ぐ月光に照らされた夜の冨士であったが、いつも御坂峠から仰ぐ、秀麗だけれどもやや大きさに欠ける冨士ばかり見ていた彼にとって、まさに仰ぐような大きな富士を、麓の富士吉田の街から目の当たりにしたときの感動も重なっていると思いたい。
というのも、オイラも富士から受ける感動をまともに体験したのは、2004年の夏に富士吉田の街にはじめて足を踏み入れた時だからだ。
大きかった。打ちのめされた。これまで歩いた南アルプス、大菩薩、奥秩父の稜線から眺める富士とも、東海道新幹線の車窓から眺める富士の姿とも隔絶した「大いなる」という言葉にまさにぴったりの富士のお姿。
太宰が目にした「月光に照らされた富士吉田市街からの富士」はまだ体験していないが、未明に市内中心の金鳥居や北口富士浅間神社の森の上に浮かんだ青い大きい富士は何度か目の当たりにし、そのたびに息をのんだ。
その「大いなる富士」会いたさがゆえに、2004年以来、毎年のように富士詣りが続いていたが、来週の須走浅間神社からの卒業式登山が「無事」終了すれば、冨士詣に一区切りつけたいと思う。(台風11号来ないでね)来週後半は、満月も近づいて、もしやしたら吉田や河口湖界隈で太宰がみた「したたるような青い月」に巡り合えるかも。そうしたら、卒業式に花を添えることができる。
そして、卒業後は、太宰がちっとも卑下しなかった彼のふるさと「津軽富士・岩木山」、賢治さんのふるさと「南部片冨士・岩手山」、そして、「出羽富士・鳥海山」もふくめ、オイラの故郷でもあるみちのくの富士を再訪しようか。
富士吉田市内の金鳥居まえの観光案内に表示されていた、おそらく太宰が目にしただろう大正期から昭和初期の富士吉田市街。チンチン電車も走っていたんだ。(2021.6.30)まさか鳥居は潜らないよね。