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■【きょうの人】 1011 円爾(聖一国師) 臨済宗東福寺の開山

2020-10-11 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1011 円爾(聖一国師) 臨済宗東福寺の開山

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 円爾(聖一国師) 臨済宗東福寺の開山


 えんに/しょういちこくし
 建仁2年10月15日(1202年11月1日) - 弘安3年10月11日(1280年11月10日)


 鎌倉時代中期の臨済宗の僧で、藤原家道に迎えられ臨済宗東福寺の開山となりました。駿河(静岡県)の出身。諡号(しごう)は聖一国師(しょういちこくし)。

 法諱は初め弁円と称し、円爾は房号でしたが、後に房号の円爾を法諱としました(道号はなし)。なお、「円爾弁円」と4字で表記される場合もありますが、前述のとおり円爾には道号はなく、新旧の法諱を併記した「円爾弁円」という表記は適切ではないといわれています。

 その宗風は、純一な禅でなく、禅密兼修で、臨済宗を諸宗の根本としますものの、禅のみを説くことはなく、真言・天台とまじって禅宗を広めました。

 また、博多崇福寺に従し、承天寺の開山でもあります。宋から持ち帰った茶の実を植えさせ、茶の栽培も広めたことから静岡茶(本山茶)の始祖とも称されます。

 なお、静岡市では、円爾の誕生日(新暦)である11月1日を「静岡市お茶の日」に制定し、茶業振興のPRに努めています。

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■【きょうの人】 1010 月輪大師・俊じょう生誕 真言宗泉涌寺派の宗祖

2020-10-10 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1010 月輪大師・俊じょう生誕 真言宗泉涌寺派の宗祖

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■ 月輪大師・俊じょう生誕 真言宗泉涌寺派の宗祖


 しゅんじょう
 仁安元年8月10日(1166年9月6日)- 嘉禄3年閏3月8日(1227年4月25日)

 

 字は「我禅」、号は「不可棄」、勅号は「大興正法国師」です。一般には、「月輪大師(がちりんだいし)」と呼ばれることが多いです。

 鎌倉時代前期の僧で、肥後国飽田郡の出身ということはわかっていますが、出自については不詳です。

 土御門帝正治元年、中国・宋で12年間修行をしました。そこでは、四分の律並に天台、密禅の諸宗を学びました。

 帰国後泉涌寺に入り、真言宗泉涌寺派の宗祖となりました。

 貴賤を問わず、民と接したことから、その得をしたい、帰依する人が多かったと言われています。

 

 泉涌寺は、天皇の墓もある、由緒ある寺院ですね。

 

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■【きょうの人】 1009 足利義昭 室町幕府最後の将軍

2020-10-09 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1009 足利義昭 室町幕府最後の将軍

 

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 足利義昭 室町幕府最後の将軍

 

 あしかが よしあき
 1537年12月15日〈天文6年旧11月13日〉- 1597年10月9日〈慶長2年旧8月28日〉

 

 室町幕府第15代将軍で、在職期間は、1568年〈永禄11年〉- 1588年〈天正16年〉でした。

 父は室町幕府第12代将軍・足利義晴、母は近衛尚通の娘・慶寿院でした。明智光秀が最初に奉じた第13代将軍・足利義輝は同母兄です。

 はじめは、足利将軍家の家督相続者でないことから、慣例によって仏門に入って覚慶(かくけい)と名乗って、一乗院門跡となりました。兄・義輝らが三好三人衆らに暗殺され、細川藤孝ら幕臣の援助を受けて奈良から脱出し、還俗して義秋(よしあき)と名乗りました。

 永禄11年(1568年)9月、浅井氏などの支持も受け、信長・長政軍に警護されて上洛、父・義晴が幕府を構えていた桑実寺に遷座、後に京都に到着し、第15代将軍に就任します。

 しかし信長に不満を持った義昭は、武田信玄や朝倉義景らと呼応して信長包囲網を築き上げたことはよく知られています。しかし、信長に京都から追われ備後国に下向しました。すなわち室町幕府の滅亡です。

 形の上では、信長が本能寺の変によって横死した後も、将軍職にありましたが、豊臣政権確立後は辞し、豊臣秀吉から山城国槙島1万石の大名として認められ、余生を送ることになりました。

 

 

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■【きょうの人】 1008 石川 五右衛門 鼠小僧とともに有名な大泥棒 絶景かな・・・と南禅寺で

2020-10-08 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1008 石川 五右衛門 鼠小僧とともに有名な大泥棒 絶景かな・・・と南禅寺で

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■ 石川 五右衛門 鼠小僧とともに有名な大泥棒 絶景かな・・・と南禅寺で


 いしかわ ごえもん
 生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日)

 安土桃山時代の盗賊の首長で、文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺されました。

 見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されました。その時代では、一般的であったようです。

 釜風呂で有名な五右衛門風呂は、その極刑に由来するものといわれています。

 従来その実在が疑問視されていましたが、イエズス会の宣教師の日記の中に、その人物の実在を思わせる記述が見つかり、また、江戸時代に創作材料として盛んに利用されたことで、高い知名度を得たようです。

 京都南禅寺の山門から、京都市内を見渡し、「絶景かな、絶景かな」という台詞を残したことはよく知られています。 骨も歯も、健康のバロメーターのひとつと言えます

 私事ですが、一日一万歩を目指して、毎朝5000歩程度ですが、早朝ウォーキングをしています。

 先日テレビで1回のウォーキングで3000歩以上は、疲労だけで、筋肉強化には繋がらないということを教えていただきました。

 5000歩といいますと、多少疲労度を高める歩数かもしれませんが、目標の一万歩を考えますと、早朝に歩数を確保しておきませんと、昼間の歩きだけでは一万歩には届きません。


 4000歩ほど歩いたところに子供用の遊具のある小さな公園があります。

 そこに照明用のポールがあり、このポールを利用したりして自己流体操をします。

 その一環に、ポールに向かって腕立て伏せをします。

 普通、腕立て伏せは床で行いますが、ポールが相手ですと斜めの形状での腕立て伏せです。

 歳を重ねてきますと、床上では厳しいですが、ポールが相手ですと何とかなります。

 腕を曲げるときも、ゆっくりと、体重をかけて、伸ばすときは反動を使わず、やはりゆっくりと行います。

 腕力強化という目的もありますが、実は肩こり解消に役立つように思って続けています。

 お陰さまで、何十年と悩まされてきました肩こりが、最近はあまり気になりません。

 そのおかげか、頭痛も少なくなりました。

 アンチエイジングというのは、ちょっとした生活上の工夫でも可能なのではないのかと考える昨今です。

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■【きょうの人】 1007 江戸川 乱歩 日本におけるミステリー小説揺籃期に活躍

2020-10-07 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1007 江戸川 乱歩 日本におけるミステリー小説揺籃期に活躍

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■ 江戸川 乱歩 日本におけるミステリー小説揺籃期に活躍


 えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步
 1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)

 大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。

 戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。

 本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。

 ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。

 三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。

 1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。

 1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。

 江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。

 助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。

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■【きょうの人】 1006 細川 幽斎(藤孝) 足利義輝に仕え、15代足利義昭を擁立る

2020-10-06 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1006 細川 幽斎(藤孝) 足利義輝に仕え、15代足利義昭を擁立る

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■ 細川 幽斎(藤孝) 足利義輝に仕え、15代足利義昭を擁立る


 ほそかわ ゆうさい / 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)
 天文3年4月22日(1534年6月3日)-慶長15年8月20日(1610年10月6日)

 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、大名、歌人、幼名は、万吉(まんきち)で、元服して藤孝を名乗ります。幽斎は雅号で、法名を玄旨といいます。

 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力を得て15代将軍足利義昭の擁立に尽力しました。

 後に、義昭が信長に敵対して京都を逐われますと、信長に従って名字を長岡に改め、丹後国宮津11万石の大名となりました。

 本能寺の変の後、信長の死に殉じて剃髪して家督を忠興に譲りました。

 しかし、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎を築きました。

 また、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもありました。

 享年77(満76歳没)で、京都市左京区南禅寺福地町の瑞竜山太平興国南禅寺の塔頭寺院である天授庵に墓があります。

 

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■【きょうの人】 1005 藤堂高虎 何度も主君を変えた戦国武将

2020-10-05 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

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■ 藤堂高虎 何度も主君を変えた戦国武将


 とうどう たかとら
 弘治2年1月6日(1556年2月16日)-寛永7年10月5日(1630年11月9日)


 藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる、藤堂家宗家初代です。

 浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光と、何度も主君を変えた戦国武将として知られています。

 築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し、黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られています。

 高虎の築城の特徴は、石垣を高く積み上げることと堀の設計です。石垣の反りを重視する加藤清正と対比されることが多いです。

 関ヶ原の戦いでは、秀吉の死後、徳川家康に接近していたこともあり、徳川家康側として闘いました。

 その後、高虎は徳川家の重臣として仕え、江戸城改築などにも功を上げたため、慶長13年(1608年)に伊賀上野藩主・筒井定次の改易と伊勢津藩主・富田信高の伊予宇和島藩への転封、22万石の津藩主となりました。

 家康は、高虎の才と忠義を高く評価し、外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用したそうです。

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■【きょうの人】 1004 玄宥 徳川家康から智積院再興の許可

2020-10-04 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1004 玄宥 徳川家康から智積院再興の許可

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■ 玄宥 徳川家康から智積院再興の許可


 げんゆう
 享禄2年(1529年)- 慶長10年10月4日(1605年11月14日)

 戦国時代から江戸時代前期にかけての真言宗の僧です。

 下野国の吹上城主膝付又太郎の子で、18歳の頃より根来山で修学し、南都・園城寺・比叡山で諸宗の教学を学びました。

 その頃の根来山は6千人ほどの学僧を擁する巨大な教育機関となって栄えていました。天正5年(1577年)、その塔頭の一つ智積院に住し、推挙され小池坊専誉とともに根来山の能化職に就いています。

 天正13年(1585年)豊臣秀吉による紀州征伐が起こり、玄宥は高野山に逃れました。以後、玄宥は、真言宗系の京都の高雄山神護寺や醍醐寺三宝院などを転々としています。

 慶長5年(1600年)秀吉亡き後、再興の訴願を続けていた玄宥に徳川家康から智積院再興の許可が出され、翌年慶長6年(1601年)に京都東山の豊国神社境内の坊舎と土地を寄進され、智積院は再興されました。

 智積院再興第一世となり、再興から4年後の慶長10年(1605年)11月14日、77歳で没しました。

 

 智積院は、三十三間堂や国立博物館の近くにあり、一度は訪れたいところです。

 宝物館の、季節を感じさせる襖絵は必見です。

 

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■【きょうの人】 1003 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人

2020-10-03 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1003 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人

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■ 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人


 もりた あきお
 1921年1月26日 - 1999年10月3日

 

 日本の技術者、実業家で、井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人であることは、周知の通りです。

 意外と忘れられているのが、1992年(平成4年)に、名誉大英帝国勲章を受勲していることです。

 愛知県名古屋市白壁(盛田家の出自は常滑)にm盛田久左衛門・収子の長男として生まれました。生家は、代々続いた造り酒屋で、父・久左衛門は盛田家第14代当主です。母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘です。

 お母さんは、姪に、元仙台市長・早川智寛、いとこに会社再建の神様といわれた早川種三がいるといいますので、盛田は、その血筋も強く引いていたのかもしれません。

 第八高等学校(現・名古屋大学)と、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業しています。

 太平洋戦争中、海軍技術中尉時代に、ケ号爆弾開発研究会で井深大と知り合います。

 終戦後、1946年(昭和21年)に、井深大らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立し、盛田は常務取締役に就任しました。

 製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことで、ソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立したのです。

 しかし、経営コンサルタントの視点からみますと、ウォークマンのような斬新な商品開発力は、当然高く評価できますが、それよりも、他者と同じような商品を、ソニーのコンセプトを付加して商品化しているところを、さらに評価したいです。

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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■【きょうの人】 1002 天海僧正(慈眼大師) 家康に重用 日光へまでも

2020-10-02 08:46:00 | 【話材】 きょうの人10月

■【きょうの人】 1002 天海(慈眼大師) 家康に重用 日光へまでも

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 天海(慈眼大師) 家康に重用 日光へまでも


 てんかい/じげんだいし
 天文5年(1536年)?- 寛永20年10月2日(1643年11月13日)

 天海(てんかい)としられる慈眼大師ですが、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧で、南光坊天海、智楽院とも呼ばれています。大僧正と位も高く、諡号が慈眼大師で、徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与しました。(Wikipediaを基に作成)

 生年は、定かでありませんが、龍興寺にて随風と称して出家しました。14歳で、下野国宇都宮の粉河寺の皇舜に師事して天台宗を学びました。後に比叡山延暦寺や園城寺、興福寺などで学を深めました。

 天海としての足跡が明瞭となるのは、埼玉県川越市にあります、関東天台の本山・喜多院(当時、無量寿寺北院)に来てからのことです。慶長18年(1613年)には家康より日光山貫主を拝命し、本坊・光明院を再興するなどして、次第に家康の信頼を高めてゆきました。日光の神橋の袂には天海像が立っています。

 徳川三代将軍・徳川家光にも仕え、寛永元年(1624年)には忍岡に、幸田露伴の小説・五重塔でも有名な寛永寺を創建しています。”江戸の都市計画”ともいえる業務にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護も構想しています。

  喜多院  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/saitama/kawagoe-kitain.htm
  天海像  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tochigi/nikko2016-5.htm

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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