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■【きょうの人】 0316 ■ 鎮西上人 ■ 渋沢 栄一

2021-03-16 08:46:00 | 【話材】 きょうの人03月

■【きょうの人】 0316 ■ 鎮西上人 ■ 渋沢 栄一

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 鎮西上人

 ちんぜいしょうにん
 別名 弁長聖光(べんちょうせいこう)
 応保2年5月6日(1162年6月20日) - 嘉禎4年2月29日(1238年3月16日)

 平安時代後期から鎌倉時代にかけての浄土宗の僧。鎮西義の祖。父は古川則茂。字は弁阿(べんな)。房号は聖光房(【Wikipedia】)

 14歳で出家し、比叡山に登り、短大集を学び、秘奥を究めたと言われています。

 後に、故郷の筑前に帰り、油山の学頭職に補せられますが、弟の死に遭遇し、無常を感じて建久8年に上洛しました。

 そこで法然に謁(まみ)え、浄土念仏の要道を聴き、専心法然に支持して浄土門に期すことになりました。

 元久元年、浄土宗の正統を伝道し、鎮西に帰り、善導寺を建立しました。


 人の「死」というのは、人間の生き方を変える契機となるほどのことなのですね。

 私事ですが、中学二年の時に祖母を亡くしました。祖母からは、「偉くなっても稲穂を忘れてはいけないよ」という言葉を始め、いろいろと教えられました。

 祖母の死に遭遇したときに、いろいろな教えをもとに生きていくということを墓前で誓ったことを鮮明に記憶しています。

■ 渋沢 栄一 生誕

 しぶさわ えいいち
 天保11年2月13日(1840年3月16日)-昭和6年(1931年)11月11日)

 NHKの大河ドラマに取り上げられて一躍有名になりました。


 日本を代表する実業家のひとりで、慈善家として知られています。位階勲等爵位は、正二位勲一等子爵で、雅号は「青淵(せいえん)」です。

 江戸時代末期に、名主身分の農民でしたが武士(幕臣)に取り立てられました。

 明治政府では、大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔、井上馨の下で財政政策を行いました。

 退官後は、実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な会社の設立や経営に、500社以上に関わりました。

 二松学舎(現二松学舎大学)第3代舎長を務めたり、商法講習所(現一橋大学)、大倉商業学校(現東京経済大学)の設立にも尽力しています。

 これらの功績が高く評価され「日本資本主義の父」と称されています。

 論語を通じた経営哲学でも広く知られています。(日本経営士協会理事長藤原久子先生がブログで紹介:https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/44c1677ddc6d92a589c21d421e4150ad">https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/44c1677ddc6d92a589c21d421e4150ad

 令和6年(2024年)より、新紙幣一万円札の顔となります。また、令和3年(2021年)に、渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送。 (【Wikipedia】を基に作成)

 東京都飛鳥公園内に、渋沢栄一資料館があります。
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/kitaku-asukayama.htm">http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/kitaku-asukayama.htm

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


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