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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄 ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~

2024-11-16 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸~物事や行為など意思決定の判断規準 ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー04 規矩準縄    ベクトルをあわせて全社一丸
      ~ 物事や行為など意思決定の判断規準 ~


「規矩準縄(きくじゅんじょう)」の「規」は「規則」などという言葉からも推察できますように、何かの「規準」を表し、看護の影響を受けている日本語でも「コンパス」などを指すときに用いる漢字で、出典は「孟子」です。
 多少脱線しますが、広辞苑によりますと、「規準」とは、「何かを行う際に、手本や標準とすべきもの」とあります。同書では「道徳の規準」「社会生活の規準」「規準をはずれる」「順守すべき規準」などという用例が列挙されています。
 おなじ「きじゅん」でも「基準」という字があります。こちらは「物事を判断するためのよりどころ。また、標準とみなす数値など(広辞苑)」という意味で、「選考基準」「労働基準法」「建築基準」「前年度実績を基準にして算定する」などの用例も併記されています。
 両者は、大変類似した意味を持ちますが、前者が比較的定性的な判断のよりどころとして用いられるのに対して、後者の「基準」は、定数的な判断のよりどころ的な用例が多いように見えます。
 話を「規矩準縄」に戻しますが、「規」は「コンパス」のように方向性を決めるときなどの判断のよりどころなる言葉です。それに対して「矩(く)」は、「ものさし」とか「定規」のような判断のよりどころで、どちらかといいますと「基準」という言葉に近いようです。
 「準」は「水準器」という言葉に見られますように「水平線」を指します。「縄」は、大工さんが使う「墨壺」の糸などを指す「墨縄」のことです。墨壺を使って基準となる線を引いてから、のこぎりで板を挽いたり、柱を切ったりします。「規矩」も「準縄」もいずれも「規則」とか「法律」という意味で、規矩準縄という四字熟語は、同じような言葉を重ねて、意味を強調して用いられます。
 似たような言葉で「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」という四字熟語があります。「一定の基準や形式にあてはめる」という意味ですが、一般的には「規則などにとらわれすぎて融通が利かない」というマイナスのニュアンスで使われます。「融通無碍(ゆうづうむげ)」ともいいます。同様に「四角四面(しかくしめん)」も「大変まじめ」という原意よりも、後者のように、「まじめすぎて融通が利かない」という意味で用いられます。

 企業経営におきましては、判断業務の連続といっても過言ではありません。経営上の判断をするときには、経営理念が規準になります。その経営理念を基に、経営戦略が練られ、それが経営計画に織り込まれます。経営計画に基づき、各部門長は部門計画を立てます。その部門計画を実践し、計画通りの結果を出すために、各担当者は自分自身の計画を立てます。
 例えば、営業パーソンが営業活動をするとします。その際に、自分の年度計画に基づいて作成された月次行動計画書を参照して、日々の行動計画を立てて、PDCAに基づいて行動します。
 このように、企業における計画は、ひとつの目標に向かってベクトルがあっていなければなりません。また、階層化され、それぞれが上位計画を規準にして決められています。例えば、顧客を訪問したときに、値引き要請をされたとします。値引きをどこまでしたら、その商談が成立するかということを推測すると共に、自分に許されている値引き範囲基準と比較します。もし、後者の基準内に前者が入っていれば、その場で即決して受注に結びつけます。逆に、前者、すなわち顧客の要望金額に、自分が許されている値引き基準が至らない場合には、上司に相談することになるでしょう。
 このようにビジネスパーソンは、行動するときに、常に規矩準縄を意識することで経営がスムーズに進むのです。
 経営では、経営理念や経営計画などという企業の目標が規矩準縄として、全社員がめざして、「個を全体に」すなわち個々バラバラではなく、統一した方向に向けて心を一つにして努力することで業績に結びつけていくことに繋がります。
 ベクトル合わせという観点で代表的な四字熟語として「上意下達(じょういかたつ)」があります。「トップの意図に基づく指示・命令を下部のものに伝え徹底する」ということで、報連相の基本です。ただし、「下意上達(かいじょうたつ)」という四字熟語もあり、トップの意図が一方通行でないことが重要で、「上意下達」と報連相はセットで体得させる必要があります。因みに「体得」とは、知識として頭で理解できているだけではなく、言動にそれが表れることを指します。
 またベクトルあわせということでは「一致団結(いっちだんけつ)」という言葉もあります。説明する必要もない四字熟語で、大勢の人が、共通の目的に向かって心を一つに合わせて、その実現のために力を合わせることです。類似な四字熟語として「一致協同(いっちきょうどう)」「一致協力(いっちきょうりょく)」があります。
 また、「一味同心(いちみどうしん)」という言葉もあります。上記が、心を一にするという抽象的な概念を表すのに対して、こちらは、心を一つにして、同じ目的を実現するために、集まっている「人」に重点がおかれています。平家物語にも使われている四字熟語です。「情意投合(じょういとうごう)」「意気投合(いきとうごう)」する組織作りにも繋がります。心と体が一体となるかのように、心を一つにする強い結びつきのことを「一心同体(いっしんどうたい)」とか「異体同心(いたいどうしん)」と言います。
 これによく似たのが「一味徒党(いちみととう)」です。有名なアレクサンドル・デュマの「三銃士」という小説があります。その中に「一人はみんなのため、みんなは一人のため」という台詞がありますが、まさに一味同心を示しています。
 企業経営では、一味同心達が、規矩準縄で心を一にし、一致団結することにより、「一粒万倍(いちりゅうまんばい)」が実現できます。一粒の種でもこれにより万倍の収穫に繋げることができようになります。このことから「一粒万倍」は、小さなことから大きな成果を得ることができるたとえとして使われます。また、一つの善行から、多くの恩恵が得られるという意味でも「報恩経」の中で使われています。「一日一善(いちにちいちぜん)」が万倍の成果として結実すると言うことです。
「一日一善」は、一日に一つの善い行いをしなさいという教えです。その積み重ねが、人生を明るくしてくれるという前向きな言葉です。「積善」という言葉がありますが、この四字熟語と同じように、善行を積み重ねることをいいます。因みに「積善」は「せきぜん」という読みと共に「しゃくぜん」という読み方もあります。
 善い行いをしますと、相手も自分も気持ちが良いモノです。孟子に出てきます「浩然之気(こうぜんのき)」の「浩然」は「広く、ゆったりしている」ことを指しますので「天地に恥じない正しい行いをしました時に感じる清々しい道徳的な感覚」を指します。
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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月15日 ◇現場百遍、ウラを取れ やり方を間違えていませんか? ◇京都の着物姿

2024-11-16 08:21:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月15日 ◇現場百遍、ウラを取れ やり方を間違えていませんか? ◇京都の着物姿 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

11月16日

 JR東日本は常磐線など首都圏の主要路線で、運転士だけのワンマン運転を、26年春から開始すると発表しました。将来的な人手不足を背景とした取り組みの一環です。
 ワンマン運転をの安全対策として、乗客の乗降確認ができるモニターを設置し、また、加速や減速、停車を自動で行う「自動列車運転装置(ATO)」を搭載するそうです。
 安全第一ですので、ラッシュ時などは問題ないのでしょうか。
 人手不足は、これから深刻になると思います。自動車の自動運転技術が高度化している中、レールの上を走る電車の自動運転を、なぜ、いま以上に、真剣に取り組まないのでしょうか。

 コンサルタントを目指す人達の集まりで、【あたりまえ経営のすすめ】について、お話をしています。

 本日は、下記のようなテーマでお話しました。

◆ 06 現場百遍、ウラを取れ やり方を間違えていませんか?

 ある人から、「社内に嘘つきがいる」ので、どの様に対処したら良いのかという相談を受けました。

 私は、平素から「人間は失敗をしないと成長しません。失敗しながら成長しよう」ということを言っています。その対応法として「答を言わずに、考えさせ、失敗させ、そこから学ばせる」という支援法を採ってきました。

* 

 その相談者は、自分は、嘘が嫌いで、全うに生きていくことを信条として、これまで生きてきたと自認するほど、間違えたことが許せない人です。

 ここでも答を言わずに、まず、下記のようにあおり運転の話から「ゆがんだ正義感」もあるということをお伝えしました。

 あおり運転をする人というのは、ある種の正義感を持って行っていることが多いようです。
 「なぜ、あのような下手な運転をするのか」、「そんなこともわからないのか・・・」
 そのような思いから「それをわからせてやろう」という気持ちとなり、基本がわからない運転者に、それをわからせるためにあおり運転をするのだという人が多いそうです。


 その上で、次のようなことをお話しました。

 私は、ウソにもいろいろあると思います。
 今回のケースの場合に限定しますと、下記のような三種に分類わけして考えてみたいと思います。

 ①真のウソなのか、②悪意なくして言っているのか、③ウソを聞いた側の誤解に基づいてウソのように聞こえるなか、いろいろなケースがあると思います。

 ①は、多くの場合に③であることが多いと思います。
 見る角度によっては、ウソではなく、それなりの合理性を持っていて、これは③に分類されるべきものです。

 ②は、本人に悪意がないだけに、本人が改める機会が少なく、信頼できる人が、気づきを与えるなどが必要になると思います。

 多くの場合は、③のケースが多いように思えます。
 嘘をつかれたと思っている人が、その大半のケースにおいて、思い込みの物差しで測って、その結果、誤解や誤認をし、その上で、「それはウソである」と判定していることが多いように思えます。

 私は、自分の会社のことを、時々「私を育ててくれたこの会社」という表現を使います。
 私自身が、この会社に所属したために、多くのことを経験できたり、学んだりすることができました。
 その感謝の気持ちを、このように表現しています。

 この言葉を部下や、私の講演などを聴講するビジネスパーソンの皆さんに伝えるのは、多くの人が私と同様に「この会社に出会えて良かった」と思って、その会社への愛社精神や先輩・同僚やその他の関係者に感謝の念をもてるようであって欲しいという思いがあるからです。

 ところが、「私を育ててくれたこの会社」を短縮して「私の会社」と聞き違える人が意外と多いということに気がつきました。
「私の会社」というのでは、たとえその会社の創業者であっても、その会社を私物化しているかのように解釈されてしまいます。

 聞き手の傾聴力に問題があるといえますが、むしろ、このような誤解はつきもので、それが伝聞となりますと、さらに違った形に変形したり、歪曲されたりして広がって行くのだと考えるべきです。
 そして、できる限り誤解されないように表現する努力をするようにしています。

 それでも上述のように誤解され、「悪事千里を走る」状態は続いてしまうのです。

 お互いの信頼関係ができていれば、「あの人が、会社を私物化するなんてあり得ない」と相手を評価してくれるでしょう。
 ところが、信頼関係が不十分ですと、その様な修正作用が働かず、「私物化している」と誤解されてしまいかねません。


 一方で、聞く側としては、漫然と聞くのではなく、傾聴をすることがポイントです。

 私は、「ウラを取れ」「現場百遍」と刑事ドラマに出て来るようなことをしばしば口にしますし、自分でも、その様に努力をしています。

 ところが、意外と、自分の仮説や考え、以前に入手した知識や情報の正当性に固執し、自分が入手して情報・データに対する自分の解釈を正当化し、それを裏付ける情報ばかりを集めがちなのです。いわゆる「正当化バイアス」が働いてしまい、それでウラを取ったつもりになってしまいがちです。

 「伝聞、私見、事実」を切り分けなさいという話をしばしば聞くと思います。管理職が、部下から報告を受けるときに気をつける事項でもあります。

 上述のウラを取るときに、複数の伝聞に耳を傾けたので、ウラを取ったつもりになってしまっていることが大半です。

 正しくない情報、不正確な情報をいくら集めても、それは「事実の裏付け」とはいえません。

 信頼できる情報源からの報告なのか、そうだとしますと、その情報源はどこかを明確にすることが必要です。単なる「伝聞」であっても、情報源が明確なのかどうかによって、情報・データの信憑性に差異が出てきます。

 「私見」なのか、伝聞なのか、事実なのかが不明瞭な報告もあります。自分の考えを入手した情報であるかのように語る部下もいます。一方で、自分の考えを持つことも必要ですので、「私見」は、「これは私の考えですが・・・」というような前置きをすることを習慣づけることが大切です。


 入手した情報・データの信頼性の問題ですが、たとえば「信頼できるあの先生が言っているのだから間違いない」という理由から、それが「事実」だと誤認してしまうようなことが多いと思いませんか。

 その先生がいうことに正当性があったとします。しかし、それを聞いた人が上述のように誤認・誤解してしまい、先生が言った内容が変形したり、意図的に歪曲されてしまったりすることもあるでしょう。

 情報やデータは、二次や三次情報・データは参考にはなっても最終的な、とりわけ重大な判断材料にしてはいけないと考えています。

 一次情報・データですら真実ではないことが多いですが、やはり、ウラを取るときには一次情報・データを中心に収集し、それらを総合的にみて、最終的には、それを鵜呑みにするのではなく、自分で判断すべきと考えます。

 その時に、自分の都合の良いように解釈してはならないのです。


 えらそうなことを長々と書いてきましたが、これは自戒のつもりでいます。おはずかしいことに、この年になっても、まだ、誤解されるようなことを、自分では気づかずに、多々行っているだろうと反省しています。

 世の中、生きていくのは大変ですね。<笑い>

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【今日のおすすめ】

 ■【あたりまえ経営のすすめ】4章【経営者編】 1-4-58 【経営者分析】 ステークホルダーに対する関心度

 「あたりまえ経営」とは「あたり前」を成長させる経営

 あたり前は、人により、企業によりレベルが異なります。

 上がり前のレベルを上げてゆくことが、成長の証しです。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

■ 京都の街並みと着物姿 B15

 11月15日は、七五三です。

 子供の頃、七五三で学校を休める子供がうらやましく思ったことを思い出しました。

 授業がつまらなく思えた訳ではないのですが、なぜかそのように思えたのです。

 関西の方はご存知ですが、京都嵐山の渡月橋から嵐山の西方、山腹に五重塔が見えます。

 法輪寺というお寺さんです。

 嵐山や嵯峨野に行かれた方が多い割には、その塔を見るものの訪れたことがあるひとは意外と少ないのです。

 ここは、七五三でも知られているお寺さんです。

 七五三といいますと、私などは神社にお詣りするものと思っていましたので、少々奇異に感ずるところがありますが、風習ですので、受け入れることにしています。

 土地により風俗習慣は異なりますが、日本古来からの伝統的な衣装である和服は、戦後は次第に着る機会は少なくなってしまいました。

 ところが、最近の京都では、着物姿の人をしばしば見かけます。

 着物を着て、お店などで買い物しますと割引をしてもらえたり、入場・拝観料でも特典があったりするそうです。

 貸衣装屋さんも繁盛ですね。

 西洋人が、着物姿の人と一緒に写真撮影をする光景を見ることもあります。

 ところが、その女性が、韓国や中国などからの観光客であることが多いのです。

 着物姿でありながら、マナーがなっていなくて、西洋人から見たら、日本人は何とマナーが悪いのだろうかと誤解するのではないかと心配になります。

 毎年京都を訪れますが、この一~二年、日本人の着物姿を見る機会が急速に多くなってきました。

 マナーの悪のは、海外からの人だけではなく、着物姿の日本人も同様のようになったしまっているような気がします。

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【最新号】
  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 4 母の思わぬ言葉

【これまでお話】 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db

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