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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月14日 ◇女性活躍の場 ◇北海道大学2 豊かな水の北大構内

2024-11-15 00:21:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月14日 ◇女性活躍の場 ◇北海道大学2 豊かな水の北大構内 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

  私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 早朝ウォーキング途中で立ち寄る小さな公園で、喫煙のためにここに来る人がいます。

 同じ場所で、ほぼ、同じような時間に来ます。

 時間をずらすようにして、公園で体操を始めますが、たまたま今朝は、その人がいつもより早く目が覚めたのか、体操途中にきました。

 私とは距離を離して座ってくださるので、配慮はしてくれているようです。

 それでも、体操しているところに臭いが漂ってきましたので、公園の隅に移動しました。

 しかし、風向きが悪いのか、臭いがそちらまで襲ってきたので、断念して公園を去りました。

 少なくても、公園内に人がいる時くらいは遠慮してほしいと願っています。

 ちょっと空き時間ができましたので、写真集を開いてみました。庭園めぐりの旅を始めてからはまだ日が浅いですが、それ以前に撮りためた名所旧跡・寺社仏閣の写真は、全国各地の漫遊結果です。

「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で感じて、見て、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。

映像で見る カシャリ!ひとり旅】    北海道大学2 豊かな水の北大構内 HKUN-0117-9C30

「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で感じて、見て、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。

 庭園のような中央ローン、そこを流れるサクシュコトニ川、クラーク像などの見どころ

    https://youtu.be/Ps2UyzMF7RQ

北海道 札幌市 北海道大学 
 

 北海道大学は、札幌駅から徒歩7分ほどのところにあります。  前身である札幌農学校時代の明治の建物が、帝国大学・国立大学時代も含め、今も学生たちの学び舎として利用されています。  市民にも広く開放されているこの大学は、まるで公園のような雰囲気もあり、ゆっくり散策してまわっても6キロメートルほどです。半日かけてゆったりと回りたいものです。  私は、学食での昼食を挟んで、3時間以上にわたって散策しましたが、北半分は回り切れていません。

 

写真 北海道大学2

 
【映像で見るカシャリ!ひとり旅】総合インデックス
 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
 
■【今日のおすすめ】 

 庭園めぐりを趣味にしてから数年が経過しています。
 しかし、庭園に関する知識が乏しいですと、せっかく訪れても楽しみが半減されているのではないかと考え、一念発起して、日本庭園に関して学び始めました。
 それをご紹介するといいますより、自分のために記述し、それをお裾分けします。

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

■ ウーマンリブは死語となりつつある b14
 11月14日は、「ウーマン・リブの日」です.
  1970(昭和45)年11月14日に、東京・渋谷で日本初のウーマン・リブの大会が開催され、日本のおける女性解放運動の契機となりました。
  ウーマン・リブ(Women's Liberation)とは、1960年代後半にアメリカで起こり、その後世界的に広がった女性解放運動のことをいいます。
  しかし、今日では、女性の社会進出が日本でもあたり前になっています。
 一方で、まだまだ女性管理職の比率が先進国の中で日本は最下位にあります。
 まだまだ女性の能力が十二分に活用されていないのですね。
  「男社会」という表現がありますように、私達男性には気がつかない部分で、女性が不満に思っているのでしょう。
  幸い、近年は、女性もはっきりとモノを言う人が多くなってきました。
 1970年代前半、アメリカに住んでいたときに、なぜ、アメリカの女性は、あのような物の言い方をするのかと思ったことがあります。
 私の中に、「女性はかくあるべき」という古い観念があったのでしょうし、まだ残っているかも知れません。
 心しなければなりませんね。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  >> もっと見る

■バックナンバー   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 4 母の思わぬ言葉

2024-11-15 00:21:00 | 【小説風】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業6章 苦悩 4 母の思わぬ言葉 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれるのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりで、実務支援だけではなく、存在の有り難さに感謝を竹根です。

◆6章 苦悩
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 しかし、問題は、そんなに簡単なものではなく、苦悩する竹根です。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆6-4 母の思わぬ言葉
 正月は、母と二人で近所の天神様にお参りに行った。
 竹根が日本に一時帰国していることは誰も知らないので、年賀状は来ない。来ないはずが、一枚だけ、好助の名前が書かれた年賀状が来ていた。見慣れた文字に、竹根の心が騒いだ。
 竹根宛の年賀状が一枚だけなので目立ったのであろう、母が、どのような女性なのか、興味を持ったようである。竹根は、はじめは福田商事の社員で、日本での竹根の連絡係を務めてくれていると簡単に説明をしたが、母は満足しないでいる。しかたなしに、これまでのことを簡単に説明すると竹根が予想だにしない言葉が母の口から出た。
「すぐ電話しなさい。私と一緒に、先方に行ってきましょう」
 竹根には、その言葉の意味が一瞬理解できなかった。
「だって、お母さん、先方は、千葉の大地主で、地元の名士なんだよ。しかるべきところへでもなければ、嫁になんか出さないよ」
「そんなことを言って、好助、おまえはそんなよいお嬢さんを他の男に取られてもいいのかい?」
 そういわれると、竹根は逆に否定したい気持ちになった。
「それは、俺もあの人ならいい嫁さんになってくれると思う。でも、世の中というのは、そう言うモノでもないだろう。いつも、お母さんが言っているだろう」
「それは、それ、これは、これ」
 理屈にもならない、母らしからぬ言いぐさである。
 有無を言わさない母親のことをよく知っている竹根である。とりあえず、年賀状に書かれている電話番号に電話をかけた。
「はい、相本でございます」
 中年の女性の声である。
「私、福田商事で相本かほりさんにお世話になっている竹根と申します」
 竹根が話しかけると「お嬢様は、ただいま初詣にお出かけです。お帰りの時間はわかりません」ととりつく島もない冷たい言葉が返ってきた。
「では、竹根から電話があったとだけお伝えください」
「竹根さんですね。わかりました。お伝えはいたします」
 若い男からの電話なので、つっけんどんである。結婚前の娘にかかってきた電話が不愉快なのであろう。元日早々からのこの出来事が、逆の立場なら竹根にもわかる気がする。
――これで、完全に壊れてしまっただろうな――
 自分のことを思ってのことであるのに、何となく母が恨めしく思える竹根であった。
  <続く>

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