昔作ったぽんぽん小物。オリジナルの変な動物が結構気に入っていました。ミノ虫状態です。
ペンギンもどきともう片方はなんのつもりだったんだろう?今でも不可解な代物です(笑)そんな小さな物を作るのに夢中な時代がありました。小さいものってどうして愛おしいんでしょうね。
小さいもの、人間で言ったら 赤ちゃんでしょうか。どこにいても赤ちゃんがいるとその場が和むように思います。弱弱しく触れたら壊れそうなほどの存在、なのにしっかりこの世に生きている その不思議な力に見るものは感動するのではないかと思います。
思い切り体全体を使って伸びたり縮んだり・・・それがこれからの自分の体を作っていくと自然に覚えているのでしょうね。たくさん動けば動くほど赤ちゃんにとってはいいことだからねと母が言ってます。踏ん張るのも 声を張り上げるのも 自分の体を精いっぱい使ってみることで それがどんどん伸びて行くのだそうです。オロオロと心配するのは少し待ってもいいかもしれませんね。
狭いアパートにいるとどうしても周りのことが気になって 音を出したり鳴き声に気を使ったりすることが多いのだろうなと思います。お母さんになりたての人にとっては苦痛以外の何物でもないのでしょう。でも だんだん泣き声の意味が意味する信号(赤ちゃんは言えませんからね 教えることができるとすれば泣くことですから)を この子のこういう泣き声のときはこうなんだなとつかんでいくしかないんですね。それもその子によって違うから やっぱりお母さんがそれをつかんでいくしかない そういう気がします。お腹がすいて泣いているのか 眠れなくて泣いているのか、お母さんが恋しくて泣いているのか・・・・何度も経験してわかってくること それって親としての楽しみでもあると思います。子どもと最初に触れ合える楽しみ・・・お父さんはなかなか子どもと接する時間をとることができませんが、お母さんの考え方次第で 変わってくるように思います。
お父さんが仕事 仕事で子どもの面倒を手伝ってくれない・・・赤ちゃんの世話をしながらお父さんのことを愚痴る。
お父さんは仕事で忙しいけど、帰ってきたら声をかける。今日の赤ちゃんの様子を知らせる。大変だったことも少し交えながら。可愛い仕草とかも教える。寝顔を見せて 声をかけてもらう。
日中 お父さんがいないときでも 赤ちゃんにお父さんが触れたことを教えてあげる。常に赤ちゃんにはいないお父さんのことを教えてあげる。
どっちがいいのかなと思うと 後者の方が赤ちゃんにとっては大事かなと。そういう自然さが 家庭を作っていくように思います。
それは反面教師としての考え方ですが・・・わたし自身 子供たちが小さい頃は父親のことを悪く言うことはないようにしようという考えでした。でも年をとってからは なんだか子供の前で愚痴っぽくなっているなあと思うことが多いように感じます。これは自分の自信の無さの裏返しじゃないかと思うのです。今 上昇気流に乗っている人と日々 所在無げに生きている自分との格差に(そこは比べるもんじゃないとも思うのですが)何度も何度も気持ちがへこんでしまう。そしてそこから抜け出せずに 自分のできなかったことを悔やんでしまう。これは負のスパイラルですねぇ。ってことで 昨日は3時まで眠れず 薬のお世話になりました。何も考えずに眠れて 今日は朝遅く目覚めましたが、まあまあいい感じです。
朝からといってもすでにお昼近い時間ですが、レンタルしてきた『クリス・ボッティ ベスト』盤を聞いています。彼のトランペットの美しさに体の中が透き通っていく気分がします。
自分がどうしようもない虚脱感というか むなしさに覆われたときに救ってくれるものを手元に持っている人は大丈夫。それが音楽だったり、絵だったり、言葉だったり、写真だったり・・・人はこの五感に訴えてくるものを何か一つでも大事にできているということが豊かなときを産むのだと思いますね。
今日は午後から動き出しましょう。お昼までは このペンギンたちのようにわたしもミノ虫になっています(笑)
ペンギンもどきともう片方はなんのつもりだったんだろう?今でも不可解な代物です(笑)そんな小さな物を作るのに夢中な時代がありました。小さいものってどうして愛おしいんでしょうね。
小さいもの、人間で言ったら 赤ちゃんでしょうか。どこにいても赤ちゃんがいるとその場が和むように思います。弱弱しく触れたら壊れそうなほどの存在、なのにしっかりこの世に生きている その不思議な力に見るものは感動するのではないかと思います。
思い切り体全体を使って伸びたり縮んだり・・・それがこれからの自分の体を作っていくと自然に覚えているのでしょうね。たくさん動けば動くほど赤ちゃんにとってはいいことだからねと母が言ってます。踏ん張るのも 声を張り上げるのも 自分の体を精いっぱい使ってみることで それがどんどん伸びて行くのだそうです。オロオロと心配するのは少し待ってもいいかもしれませんね。
狭いアパートにいるとどうしても周りのことが気になって 音を出したり鳴き声に気を使ったりすることが多いのだろうなと思います。お母さんになりたての人にとっては苦痛以外の何物でもないのでしょう。でも だんだん泣き声の意味が意味する信号(赤ちゃんは言えませんからね 教えることができるとすれば泣くことですから)を この子のこういう泣き声のときはこうなんだなとつかんでいくしかないんですね。それもその子によって違うから やっぱりお母さんがそれをつかんでいくしかない そういう気がします。お腹がすいて泣いているのか 眠れなくて泣いているのか、お母さんが恋しくて泣いているのか・・・・何度も経験してわかってくること それって親としての楽しみでもあると思います。子どもと最初に触れ合える楽しみ・・・お父さんはなかなか子どもと接する時間をとることができませんが、お母さんの考え方次第で 変わってくるように思います。
お父さんが仕事 仕事で子どもの面倒を手伝ってくれない・・・赤ちゃんの世話をしながらお父さんのことを愚痴る。
お父さんは仕事で忙しいけど、帰ってきたら声をかける。今日の赤ちゃんの様子を知らせる。大変だったことも少し交えながら。可愛い仕草とかも教える。寝顔を見せて 声をかけてもらう。
日中 お父さんがいないときでも 赤ちゃんにお父さんが触れたことを教えてあげる。常に赤ちゃんにはいないお父さんのことを教えてあげる。
どっちがいいのかなと思うと 後者の方が赤ちゃんにとっては大事かなと。そういう自然さが 家庭を作っていくように思います。
それは反面教師としての考え方ですが・・・わたし自身 子供たちが小さい頃は父親のことを悪く言うことはないようにしようという考えでした。でも年をとってからは なんだか子供の前で愚痴っぽくなっているなあと思うことが多いように感じます。これは自分の自信の無さの裏返しじゃないかと思うのです。今 上昇気流に乗っている人と日々 所在無げに生きている自分との格差に(そこは比べるもんじゃないとも思うのですが)何度も何度も気持ちがへこんでしまう。そしてそこから抜け出せずに 自分のできなかったことを悔やんでしまう。これは負のスパイラルですねぇ。ってことで 昨日は3時まで眠れず 薬のお世話になりました。何も考えずに眠れて 今日は朝遅く目覚めましたが、まあまあいい感じです。
朝からといってもすでにお昼近い時間ですが、レンタルしてきた『クリス・ボッティ ベスト』盤を聞いています。彼のトランペットの美しさに体の中が透き通っていく気分がします。
自分がどうしようもない虚脱感というか むなしさに覆われたときに救ってくれるものを手元に持っている人は大丈夫。それが音楽だったり、絵だったり、言葉だったり、写真だったり・・・人はこの五感に訴えてくるものを何か一つでも大事にできているということが豊かなときを産むのだと思いますね。
今日は午後から動き出しましょう。お昼までは このペンギンたちのようにわたしもミノ虫になっています(笑)