心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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雨です

2017年09月12日 | ほんのすこし
10・11日と地元の神明社の祭典でした。
この日は夜店が出ていたり、山車が練り歩いたり、子供神輿があったりと通りから聞こえる「ワッショイ」のかけ声が日中ずっとどこかからか聞こえてきます。

そんなお祭りも子供のいない今では日常とさほど変わりはありません。
といっても、なんとなく普段より美味しいものを準備しようかと。
日曜は子供神輿が家の前まで来ると母の回覧板にありましたので、わたしと二人分「お花」を用意しておきました。
お昼を食べ終わった頃に、御神輿の音が聞こえてきました。早速用意したものを持って玄関の前へ。母もゆっくりゆっくり玄関に出てきました。

お隣さんも出てきて子供達が練り歩くのを見守りました。
家の向かいの空き地でぐるりと方向転換してまた町内を練り歩いていきます。
お隣さんと母が、昔に比べたらずいぶん子供が少なくなったなあと寂しそうな顔をしています。わたしはその昔のことを知りませんので、さぞかし賑やかだったろうなと思うだけです。
そういえば、母の住む町内は若い人が少なく、お年寄りばかりが多くなった気がします。子供達が皆巣立っていったのでしょうね。

同じような家が建ち並ぶ町内でした。昔はそれでも次々と改装したりリフォームしたりで、その同じ家のままという方はあまり見られませんが、基本的な建て方は同じようです。だからか、初めて尋ねてくる方は必ずといっていいほど間違います。先日も介護の担当の方が数ヶ月ぶりに来てみたら、隣がリフォームされていたので、間違ったかと思って別の通りに行ってしまいました、と頭をかきながら話していました。

似たような感じの通りが並ぶと迷う、それはきっと都会のもっと大きな団地だったらすごいだろうなと思いました。
上京したときに電車から見える高くて広い団地の群れを見たとき、頭がくらくらするような気がしました。自分だったら毎日迷ってしまうかも・・・

なんだか家に戻ってからホッとした気分を味わっていたのは、都会の中で暮らすことが自分には無理なのだとちょっと残念でもあり、のんびりした毎日への郷愁を感じていたからかもしれません。
自分の駅に降り立ったときの空気感、なんともいえない空、見慣れた風景が醸し出す安心感がそこにあるからでしょうね。

あらら、お祭りの話がどこかへ行ってしまいました。
で、お祭りだったので、昨日は母の所にお泊まりしました。一日中曇天。それでも雨が降らないだけましだね、と話ながら。お祭りだから何か特別なことがあるってわけでもなく、ただ美味しそうなお刺身とお肉、野菜スープ。それだけでもう母は十分すぎると喜んでくれました。二人で母の好きな時代劇を見て、大昔の水戸黄門だね~と。ふたりともこの最初の水戸黄門がいいね~と。
ベッドに横になった母の痛む足、股から足先にかけてをさすってあげると、「気持ちいいなあ、痛いけど触ってもらうと気持ちいいんだよなあ」と何度も言います。
しばらくさすっていると「お前つかれるからもうその辺でいいよ」と言います。
それでもさすられるとすごくいいみたいで、気持ちよさそうな顔を見たくて、もう少しもう少し、って。
うとうとし始めたので、そこで終了。

わたしも早々と眠気が襲い、いつもの自分とは全然違う時間に布団に入り・・・あらら、曇天だったのが、夜中からずっと雨。

今日は晴れる間がないくらい雨が続いています。土砂降りでないのがまだましです。
明日は晴れるといいな。

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この頃、端切れ布を見るのが好きです。何かにできないかしらと考えたり。

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