渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

あの児島ジーンズとコラボでライダースパンツを作るぞ!【児島ジーンズストリートへ行ってきた】

2024年11月27日 | open

あの児島ジーンズとコラボで
ライダースパンツを作るぞ!
【児島ジーンズストリートへ
行ってきた】



私の高校は東京の文京区に
あった。
その高校の制服は、当時で
は全国でも珍しい上下スー
ツだった。それは専門契約
のテーラーでフルオーダー
メイドで仕立てられた。全
校生全員を一人一人採寸し
て専用に作られた。入学前
に一度採寸され、背丈が伸
びる生徒は2年次あたりに
また採寸して作った。
私は中2の初めから身長も
横も変わらずだったので、
新たに作った時は同じデー
タで作ったが、他の同級生
たちは高1時には私より低か
った身長も私を追い越し、
176~180位になるやつらも
多かった。当然、テーラー
メイドの制服は必然的に作
り替えだ。
下はドカンが流行った時に
は濃紺スーツなのに同じ色
合いのドカンだったが(笑
ドカンは上のアメ横で作って
くれる
店があり、大流行りだ
った。
大学の応援団のような幅で

はなく、学校当局には取り
締まられないようにやや幅
広に仕立ててもらうのが定
番だった。それでもかなり
幅広ストレートだったが。
スーツなので定尺の超幅広

ドカンだと上と合わないの
で、あれが正解だろう。
それでも士舘生や朝高生な
どにはオイと呼び止められ
たりしたが。
毎朝毎夕の通学が緊張状況

にあるという時代。他高生
と目が合っただけで地下鉄
や国電の駅のホームで始ま
っちゃうから。
だが、あえてそれを選択し
ていた。ぺったんこの鞄の
底には太い文鎮や伸縮式警
棒を所持して。
1970年代はそういう時代だ
った。
そうした状況から逃げて真
面目君ぶるのはくそダサか
った。
高校時代にそうした状況下

を過ごしたので、大学進学
後の「圧倒的暴力」に対し
ては何の違和感も無かった。
それの是非など知ったこっ
ちゃない。
なんせ、私が大学に入るちょ
い前は、学食で食事していた
学生が対立党派のテロ襲撃
を喰らって脳天にバールを
叩き込まれて、脳症が前で
カレーライス食べてた女子
大生の皿に飛び散る、とい
うような時代だったのだし、
私の時代も状況はさして変
わらなかった。拉致された
私の先輩などは椅子に縛り
付けられて千枚通しブスブ
スだったし、日中街中の

宅街で白昼に一気に5名を

即死状態で「せん滅」する
ような時代が私の大学時代
の首都圏の情勢だった。
いわば幕末の京都みたいな
状態。
当然、対権力の戦闘では双

方に死者も出ていた。
そういう時代。
国家権力サイドも暴力を駆

使したし(学生が援農で畑
仕事を終えて農道を歩いて
いるだけで機動隊が林に拉
致して半殺しの暴行を加え
る等)、対抗勢力も武力た
る暴力
を以て対峙していた。

高校時代は都内のテーラー
メイドの制服だったが、公
立中学の時の詰襟
の制服は
岡山県倉敷の児島
産の学生
服だった。

全国の制服のほとんどを手
掛けるのが倉敷の児島だ。
江戸時代には島だったが、
大干拓により陸続きとなっ
たエリア。
そして、アメリカのメーカー
のジーンズのOEM製造もほ
とんどが日本の倉敷の児島
製だった。
それはあたかも世界中のナ
イフは日本の岐阜県関市の
刃物製造業者が担っていた
のに似ている。

児島産のジーンズのデニム
は非常に品質が高く、仮に
リーバイスやリーの銘柄だ
としても児島産はモノが違
う。
やはり、日本製品が世界の
中で最高品質だった時代は
確実にあったし、今も品質
はあらゆる産業製造物の分
野では落ちていない。
ただ、人件費の問題から中
国製が世界を席巻している
だけだ。
中国の大躍進世界支配はこ
こ15年程で始まった状況だ。

当然、世界最高品質の児島
のデニムも価格を上げざる
を得なくなった。
それでも、品質は落ちては
いない。
世界最高のジーンズ生産地
児島。
デニムの生地そのものが違
う。
児島は今でも繊維の町とし
て活動しており、国産の作
業服や男女学生服の多くを
手掛けている。
国内で、こうした生産地の
灯を消してはならない。
楽器の町浜松、とかさ。

ライダーズパンツでは一つ
だけ外してはならない事が
ある。
それは、股上が浅くローラ
イズのパンツは絶対にダメ
という事。
通常のボトムズよりも深め
の股上にする。
でないとほんの少しでも前
傾した場合背中丸出しにな
るし、腰ではなく腹部分で
締める構造にしないと、動
きが全く取れない。
また、腰骨にテンションを
かける構造のパンツだと、
短時間ライドしただけで腰
が確実に100%痛くなる。
ライディング専用のパンツ
は股上が深い物でないと不
適だ。
そのあたり、よく理解して
いなかった別業者のワーク
マンは、初めてライディン
グ専用冬用パンツを出した
時に、股上がファッション
パンツのように浅く、腰骨
に負荷がかかり過ぎ、また
少し前傾しただけで背中丸
出しのパンツを作ってしま
った。作業着屋であるのに
あれは検討検証不足の大失
敗作だった。3000円台で
見た目も機能も充分なパン
ツだったが、股上だけが滑
っていた。

そういう構造的に外しては
ならない要件というものは
どんな分野でも絶対にある。
それを日本の古い言葉では
「規矩(きく)」といった。
規矩は実は武術の技術的な
内容についても存在する。
そういうものは、私的な思い
がどうのとか情念的な物は
一切関係ない。物理的な事
であり、定式であり、不動
の定理であり、天の理とい
う類の物だ。例えば車輪は
丸くないとならない、とい
うような類に属するもの。

そして、オートバイの場合
にも、走法において不動の
規矩が存在する。
それを知るか知らぬかで安全
性や円滑性に大きな隔たりが
出る。
ただ、困るのは、その規矩を
無視して大嘘をさも真実であ
るかのように拡散宣伝して
自己権益に人々を誘導しよ
うとする人間が現代は結構
多い
事だ。
規矩を無視するだけでなく、
危険な出鱈目を拡散したりも
している。バイクのハンドル
は曲がりたいほうに運転者が
人為的に切って曲がれ、とか。
物理的な二輪走行原理を無視
する大出鱈目を拡散している。
人々を危険に導く由々しき件
ではあるのだが、俄かに盲信
せず、近づかない
に限る。
危険であるのは、セルフステ
アを無視して、旋回中にさら
に旋回させるには曲がる方向
にハンドルを切れと言ってい
る事だ。
物理的現実は逆だ。イン側を
押す事でバンクが深まり、そ
の直後にセルフステアでさら
に自動的にインにステアが切
れるのである。外力でイン側
に引くと二輪の車体は起き上
がる。
そうした物理的な特性を丸無
視して思い込みだけの脳内操
作法が正しいものとして拡散
させるのは社会的に犯罪的行
だ。
二輪走行には走行原理の規矩
が存在しているからだ。
それを無視すると危険を誘発

させる。
その真実をも覆い隠すのは
これは罪だ。

閑話休題。
「児島のジーンズ持ってない」
と言う方々も、実は持ってい
るかも。
アメリカのブランド物だった
ら、もしかすると日本の児島
産かも知れないからだ。
児島は私は仕事でもよく行っ
た町だけど、車下りて歩いて
いるだけでもワクワクする面
白い街だよ。
日本のデニムだったら児島。
これ鉄板で王者。

岡山県て、倉敷と岡山で結構
対抗意識が互いにあるのだけ
ど、それは倉敷には美観地区
の蔵の街の歴史と世界有数の
繊維の地場産業があるのと、
明治以降の県では同一だが、
岡山市こそが本藩であり県庁
所在地である、という意識の
拮抗かと思う。
広島県の安芸郡府中町が広島
市に囲まれながらも絶対に広
島市への編入は拒む、みたい
なのに似て。あれは府中町に
はマツダ本社があるので税収
が潤沢であり、それが広島市
に編入される事で消去される
のを府中町が拒んでいるから
だ。住民たちによって選出さ
れた議員たちによって。
なので大都市なのにぽかんと
今でも郡部の市町村制のまま
のエリアが広島県の安芸郡府
中町になっている。
バイクとかで走ると驚きます
よ。都会なのにここが郡部な
の?みたいに。
岡山県人は県外者に対しては
岡山県民としての立場を見せ
るけど、実は県内部では倉敷
と岡山市では文化も意識性も
全く異なる。古くは国も異な
った。備前と備中というよう
に。
でもさらに大昔は現在の三原
までを西端とする大きな国
「吉備国」だったのだけどね。
広島県の三原が吉備の国だと
いうのも意外と知られていな
いけど。
だから三原は文化圏としても
安芸広島とは全く異なる気質
と言葉と風習が今でもある。
県単位だと「広島県じゃけぇ」
とか言っていても、大元は三
原は吉備の国。言葉も文化も
広島とは異なるエリアだ。
今は明治以降の県単位で括り
を考えがちだが、それは後世
に「作られた」地域意識であ
って、元来の人民の文化風俗
が同一というのではない。
岡山県の備前・備中・広島県
の備後は元々は一つの吉備の
国。
歴史を知らないと、ジモチー
の人のお国柄や連綿と続く文
化や気質
の繋がりをも見誤る
ので要注
意。


 





 


この記事についてブログを書く
« 1990年正月特番ドラマ「燃え... | トップ | 250ccという排気量の考え方 ... »