渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

斬り稽古の注意点

2024年06月18日 | open



抜刀道系の畳表斬りにおいて
の想定はよく知らないが、

が居合剣法として斬術稽古す
る場合には、畳表では実際の
剣戟とは
異なる物理的限界を
感じている。

それは、畳表は人体よりも細
いということだ。

なので、体の中心線に畳表を
置いた場合、あるいは
自分の
位置取りをしてからの袈裟切
りの場合、実際の
対人斬撃と
は袈裟斬り下ろしあるいは逆
袈裟の入刀
位置と切り代の長
さがまるで異なる、という畳
表や
巻き藁の限界性がある。

ではどうするか。少しでも実
質的なことに近付けるには。

それは自分の立ち位置を意図
的にずらすのである。ずら

て、実質的な対人斬撃と同じ
入刀位置を取るのだ。



この畳表切りの物理的な致し
方ない限界性については、私
は全剣連居合道初段の
頃から
気づいていた。

居合というものは、結構その
あたりを厳密に設定している。

敵の人体のどこにどのように
切りつけるかということを。

居合刀法で実際に畳表の斬り
稽古を行なおうとした時に、
「あれ?これ、これだと実際
は違うじゃない」とすぐに気
がついた。どうするか暫く呆
然としながらも思案した。

最初から試斬ありき物切りあ
りきの畳表切りから入って

たら、この畳表の限界性に気
づかなかったことだろう。

ただ、畳表が切断できたかで
きないか、等のレベルで思考
がそれ以上開かなかったこと
だろうと思う。

だが、居合の刀術は畳表試斬
の限界性を即座に教えてくれ
た。


鞘内に刀を納めた段階で畳表
に対峙した時点で切りつける
場所は定める。だが、本当は
居合などはそういうことはし
ない。

最初から抜き打ち場所ありき
ではなく、敵に対し臨機応変
居て合わせるのが居合だか
らだ。

そこで、仮想的を浮かばせて
自由斬術稽古にしてみると、
ますます異なる。
それはそうだ。剣持つ人体で
はないのだから。

なので、私は自分の立ち位置
を可変的に取ることで、予め
位置決め斬撃とはなってしま
うが、体の中心線に畳表を置
ことはなるべくしないよう
にしている。対人斬撃の場合
は、
敵の人体の真ん中あたり
から突然刀が入刀していくこ
となど
あり得ないからだ。
こうした物理現象は、横水平
切りの時に極端に発生する。
だが、工夫すれば実際の剣戟
の状況に少しは近づく。


こうした一連の考察は、多摩
至誠館道場の斬術稽古の過程
において思考展開をしたので
ある。



※この記事内容はあくまで私
自身の刀法についてのことです。
他の流派・連盟・個人のことは、
一切関知しません。



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