渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

メンテと調整

2025年02月01日 | open



ばらして整備して調整して
組む。
ただそれだけ。
しかし、大きく変わる。

外は大雨。


スズキ ヴェルデ/パーツリスト


レーシングライダーの肖像 宮城光

2025年02月01日 | open

レーシングライダーの肖像 宮城光


栄枯盛衰。
1980年代のトップライダー
だった宮城光選手の栄光と
影。
だが、彼は走り続けた。



塞栓で閉栓 2スト用キャブレター

2025年02月01日 | open
 


スズキ純正部品を流用して
塞栓を作り、キャブレター
の不要なニップル部を閉栓
する。
閉栓用接合ホースの長さは
はめ込み部のニードル長と
合わせながら現合(げん
ごう)
でカットして接合する。

2ストオイルは別ルートで
充分に供給される方式なの
で、焼き付き等エンジンに
問題は起きない。
むしろ不要になった別物2
ストオイル供給ニッ
プルの
空洞筒がキャブに突
き出て
たままのほうが燃調に問

を惹起させる蓋然性が高
い。

余分な2ストニップルは塞

いだ。




エンジン始動。
キャブの吸い込み音もシュゴ
シュゴいってる。
エキゾーストサウンドは2ス
トの枯れた快
音と共にヒュン
ヒュン音が入
っている。
ド快調だ。
スロットルレーシングでのレ
スポンスも頗る良い。
OK。到達した。



 
 


  
 

 

北アルプスの清らか天然水「雪山しずく」

2025年02月01日 | open



日本全国ナチュラルウォー
ターは数々あれど、これは
かなり美味しい水です。

市内のほか弁屋さんで弁当
出来上がり待ちの時、市内
の魚屋さんが入って来て、
弁当ではなくこの水だけを
数本買ってパッと出た。
活きのいい良い魚を扱って
いる鮮魚店の人が、近くの
コンビニではなく、この水
を置いているほか弁屋ま
わざわざ来て買う。

そういう人が買う水ってど
なだべ、と思って買った
ら、
特大ホームランだった。
まじでおいしい水です。

 


柳沢雄造:伝説のメカニック

2025年02月01日 | open

柳沢雄造:伝説のメカニック


柳沢雄造。
伝説というよりも、リアル
「現実」の世界に生きていた
だった。
敬済さんが言うように雄造さ
んもまた「解る奴、分かり合
う奴だけしか要らない」とい
う人だった。

 
 


ツールボックス

2025年02月01日 | open

新作 おしゃれな ツールボックス


TONEのこのツールボックスは
1980年代初期のKTCの工具セッ
トの工具箱にソックリ。

こちらKTCツールボックス。
KTC(京都機械工具株式会社)の
工具セットで1980年代初頭に
購入。

三段構造になっているかなり
収納力がある工具箱だ。


高校1年の時に使っていた工
具箱は大昔のベスパと同じ
明るいグリーンメタリック
の二段物だった。チームから
の借り物。

FISCO=富士スピードウェイ
に初めて行った時にそれを
ピットで使っていたら、大
阪から来ていた隣りのピット
のライダーの方に話しかけら
れた。MT125からプラグを外
して診ている時。

「いつもメカニックやらはっ
てるんですか」と。

5才の時に一人で新幹線に乗
って東京から大阪まで行った
時以来の
生大阪弁を聴いた。
それほどまで首都圏東京では
大阪
弁を耳にする事は無かっ
た時
代だ。大阪弁といったら
アニ
メでベタな『いなかっぺ
大将』
の西はじめか『あした
のジョ
ー』のマンモス西か位
しか耳
にする事は無かった。
「いえ、乗るほうです」と言
ったら「お若いのに、そうで
っか」と言う。1970年代中期
当時、高1でレース活動をや
っている人など殆ど国内に

いなかった時代だ。なんせ、
平さんと同期なのだから(笑

今、コースを走ってる小沼
代子と俺はおない年なの
にな
と、俺は含み笑いをした。
小沼、ノービスの頃からバカ
ッぱやだった。
基本、若いもんは自分で車を
いじった。専属メカニックな
どはいない。
その声をかけて来た人は二人
で富士に来ていて、名
前は知
らなかったが、うちのチーム
オーナーとは懇意に話してい
た。走っているのを観たら、
めちゃくちゃ速かった。もう、
めっちゃくちゃに。


ただし、このKTCボックスは
工具がぎっちりのため、
重た
すぎてサーキットなどの
ピッ
トからパドックでの移動が
困難だった。
右上の段なども、小型メガネ
の下にKTC正規メガネが全番
ぎっちりと入っている。
このツールボックスを車から
降ろして数メートル運
ぶだけ
でも身体傷めそうにな
る。
底を浮かす持ち上げだけでよ
ょっこら
しょで、持って移動
はかなり
負担が大きいので、
台車に載せて移動しないとな
らない重量。
Youtubeで、いろんな人たち

の昔のサーキットのレース動
画をネットサーフィンで観て
いたら、筑波のパドックでこ
の工具箱をコロコロに載せて
歩いている俺が映っていた(笑

 
 



未来担うジュニア選手も…米旅客機衝突 トランプ大統領「多様性重視のせい」【報道ステーション】(2025年1月31日)

2025年02月01日 | open

未来担うジュニア選手も…
米旅客機衝突 
トランプ大統領「多様性重視のせい」
【報道ステーション】(2025年1月31日)


こいつ、どこまで卑劣なバカ
なのか。

 


 


1977年日本ダービー - ラッキールーラ

2025年02月01日 | open

1977年日本ダービー - ラッキールーラ


この第44回東京優駿日本ダー
ビーの単勝・連複は当てた。
ラッキールーラのような戦績
の馬は大好きだったし、今で
も好きだ。
馬体でかすぎるけどね。
歴史的な巨漢馬。
でも、馬体が絞り込めなくて
なかなか勝てない。人気が高
い時にも勝てない。
それでもどうにかダービーを
征した。
身体が大きすぎて、引退後の
種牡馬になった時には700kg
という何だそれ状態の馬体重
になっていた。

相手の牝馬がなかなかいなか
ったくらい。
最期は韓国に売られて死んだ。
なんだかとてもかわいそうに
思えた。

心に残る馬だった。
1977年のダービーは時計は遅

いが、良いレースだった。
ラッキールーラの意味は幸運
の支配者。
名前と裏腹になかなか順風満
帆ではない生涯のラッキール
ーラだったが、戦前戦後の名
調教師尾形藤吉氏の晩年に14
年ぶりのダービー優勝をもた
らして花を
添えた。
感涙していた尾形師だったが、
ダービーの夜、自宅が火事で
全焼してしまった。
波乱を呼ぶ幸運の支配者ラッ
キールーラ。

だが、私は大好きな馬だった。
ヤエノムテキ、アイネスフウ
ジンと並んで。

競争というのは、観ていて実

に面白い。
それと、何だかいい。

馬も人も一所懸命に走るのは。
勝負だから勝ち負けにはこだ
わるが、誰が勝っても負けて
も、全員本気で懸命に走って
る。
それがいい。
私は物心ついた時から、どん

なジャンルでも、とにかく駆
けっこが大好きだ。