渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

光線銃SP(1970)

2022年06月06日 | open

これ見て「光線銃SPみたいだな」
と思った。
今の若い人たちは知らないだろう
が、1970年大阪万博があった70
年安保決戦の年、任天堂から超画
期的な玩具銃が発売された。
それが光線銃SPだ。
内部に電球が仕込んであり、トリ
ガーを引くとシャッターが切れて
光を発して離れた的に中ると感知
器内臓の的が反応する。
それはとんでもなく画期的な玩具
で、安全かつ楽しみ多きオモチャ
だった。

まだ規制前の黒い金属モデルガン
と共に持っていた。ライフルと
リボルバータイプを。発売され
て即買った。横浜のデパートで。
学校の友人たちとうちでよく射的
ごっこで競い合って遊んだ。
金銭価値相場は現在は物価は当時
の約6-10倍。この銃は今なら1万円
程か。
一番値上がりしたのは銭湯で、今
は当時の28倍程の金額になってい
る。
それほど、貨幣の価値が下がって
しまっているという事だ。
100円玉1枚で買えた物が8枚ない
と買えないのは、100円の価値が
1/8になったという事。

この回転ルーレットも持っていた。


このライオンがガオーと唸る的は
持っていなかった。


ボトルの的はよく不具合を起こし
た。バネ仕掛けで半分から上が飛
び跳ねるのだが、固定部分のエッ
ヂが欠損してしまうのだ。

この「光線銃SP」は最高でした。
この数年後にツヅミ弾のスプリン
グガンとエアソフトガンが初めて
登場するのだけど、エアソフトガ
ンがBB弾化して大流行する1980
年代中期まで、実は光線銃SPを
超える「的あて物」で優れた物は
無かった。MGCのシューター
ワンの光線装着は銃口からでなく
装着器具からの光線なので光線銃
ではない。当然流行らなかった。
歴史を俯瞰するに、エアソフトガ
ンの前は光線銃SPだ。
このシステムを利用して1972年に
はレイシューティングシステムが
開発され、全国のゲームセンター
でリアルな散弾銃タイプの銃で
シューティングが楽しめるように
なった。




この記事についてブログを書く
« 映像エフェクト 『マリアン... | トップ | 砥石の平面出し »