渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

今夜も西部劇 ~街の今昔 「エルパソ」~

2017年07月16日 | open


『夕陽のガンマン』(1965年)
より。

西部劇でおなじみの西部の町に
テキサスのエルパソという町が
ある。
メキシコとの戦争で米国が勝利
して分捕ったのがテキサスだが、

この時、国境の町となったのが
エルパソで、町が二分されて町
の一部はメキシコ領とされた。
そのため、エルパソからメキシ
コに行くには、現在でも出国手
続き
も入国手続きも無く、30
ドルを払って自動改札口を通れ
ば外国で
ある隣国に行ける方式
になっている。パスポートの
提示も要らない。

歩いて出られる国境改札口もある。

エルパソの国境(車道)。




現在のエルパソ。
人が集まり人口は増えたが、
西部劇に出てくる
町が近代化
されただけというような埃っ
ぽさを感じさせる。


なんとなく、西部開拓時代の
ままという雰囲気。ビルが建
っただけ、
というような。

こちらは、映画『夕陽のガン
マン』に出てくるエルパソ。

イーストウッド扮する「マン
コウ」がエルパソにやってくる
シーンだ。



スペインロケの『夕陽のガンマン』
で遠方に見える山は、このエルパソ
の山のつもりなのだろう。これは
現在の写真。エルパソは乾いた土
地で赤道にも近いので気温も熱い
のだろうが、なんだか景色が寒々
しい。気候は砂漠気候、山は2200
メートル級の山である。



夜景は綺麗なようで、なかなか
のビューを見せている。



エルパソの大門寺焼き。UFOも
時々エルパソの上空には訪れる
らしい(笑

日本の大門寺焼きよりも、こち
らのほうが規模は大きそうだ。



現在の町中。


『夕陽のガンマン』で出てきた
推定1870年代末期のエルパソ。



エルパソは1850年に郡として
創設した若い町で、1881年に
鉄道が
開通してから町が発展
した。

しかし、サンフランシスコや
ロスアンゼルスのような超大
都会となる
ことはなく、今世
紀初頭の人口は56万人だ。
埼玉県さいたま市の人口129
万人
よりもかなり少ない(笑
エルパソは、今も辺鄙な田舎
の町、といった
ところだろうか。

映画『夕陽のガンマン』では
エルパソに鉄道は通ってない
ため、賞金
稼ぎの殺し屋である
モーティマー大佐(リー・バン・
クリーフ)は、途中
で列車を
強引に停めて下車し、馬でエル
パソに向かっている。

ということは、『夕陽のガン
マン』は、舞台設定がエルパソ
に鉄道が通っていない1881年
以前である
ということだ。
出てくる銃はコルトSAAだが、
1stジェネレーションの無煙火薬
モデル
(1896年~)であると
いう撮影演出ミス(ハリウッド
西部劇もほとんどそうだが)は
見逃すとして、SAAの5.5インチ
が登場
して民間販売もされたの
が1876年以降であることを勘案
すると、映画『夕陽のガンマン』
での舞台設定の年
は1876~1880
年の間ということになってくる。

さらにモーティマー大佐は18
インチならびに9インチ
(推定。
多くのネット情報では10インチ
と出てくるが、4.75インチバレル
とほぼ面一のエジェクターチュー
ブの長さの2倍以下であり、10
インチには達していないこと
から、私は9インチバレルで
あると読んでいる)銃身を
持つ
バントラインスペシャルSAAを
所有している。
バントラインスペシャルのコルト
シングルアクションは、西部劇
小説家
のネッド・バントライン
がコルト社に特注して西部開拓
に貢献した者5名
に贈られたと
されているが、コルト社の記録
にはそのような長銃身の
モデル
を作ったという記録は一切ない。
バントラインスペシャルの存在
は、
小説家と取り巻きの捏造自
己宣伝である可能性が高い。

12インチ銃身は使用上はさらに
短く切って使用されたという
まことしや
かな話まで設えら
れて伝承されており、バント
ラインスペシャル自体が
創作
であるとしたら、尾ひれはひれ
が付いた人々の猟奇的興味を煽
る盛り沢山のオハナシとなって
いる。
さらにバントラインスペシャル
はワイアット・アープ(16イン
チ銃身)をはじめバット・
マス
ターソンなど著名人5名に贈ら
れたとの話がしっかりできあ
がっている。

しかし、実際にはこれを贈った
とされている1877年のコルト
社の記録
には製造記録がない
のであるから、コルト社では
作っていない。
銃身
だけを製造するのは、一般
鍛冶屋では無理であり、近代
機械を有した
銃器メーカーで
ないと製造できないので、やは
りバントラインスペシャル

存在自体が眉唾ものであると
見るのが自然だろう。

そのように歴史事実であるかの
ように捏造創作することは万国
で悪意
ある者によってよく行な
われてきた。現在もよく見られ
る詐欺行為だ。

だからといって、「記録に無い
からと存在しなかったとはいえ
ない」など
と埒外のことを言い
出して存在を強引に認めようと
する族も出てくるから
始末が悪
い。悪魔の証明は不可能だ。

そうした事実を踏まえたうえで、
娯楽活劇として楽しむの中で、
多少
考証をするとするのであれ
ば、映画『夕陽のガンマン』の
時代背景は、
1876年からエル
パソに鉄道が無かった1880年
までの物語、ということに
なっ
てくる。

なお、SAAは1872年に米軍の
軍用銃のトライアルに合格し、
1873年から
発売が開始された
が、1873~1875年まではすべ
て軍が一括して納品を
受けて
いたため、民間に販売開始され
たのは1876年からである。
いかにハリウッド作品を含む
映画やTVドラマの西部劇が
時代考証を無視しているかと
いうことだ。特にマカロニ
ウエスタンでは時代考証の
無視が甚だしい。


イーストウッドの劇中の台詞
「こんな銃は見たことないよ」。


そりゃそうだ。バントライン
スペシャルは実在していない
のだから(笑)。
ま、映画だから。映画は映画
として楽しまないとね。
ただ、日本でも時代劇を実在
の歴史だと思い込んでいるキテ
レツたちが大真面目にトンチキ
のチグハグな頓珍漢をやらかし
ているという、人たちもいたり
する。しかも、詐欺行為で集客
集金。洗脳したりとか。
困ったもんだ。バウンティハン
ターの賞金稼ぎが登場してほし
いくらいだ。

映画『夕陽のガンマン』は、遊
び心あるマカロニウエスタンな
ので、娯楽活劇として見るのが
正解だろう。
突っ込むとしたら、ウィンチェ
スターM1892が出てくるのであ
るならば、1892年以降の物語だ
から、エルパソには鉄道が通っ
ていなければおかしいことに
なる(苦笑)。
つまり、リアル世界の歴史を当
てはめると、『夕陽のガンマン』
の物語の舞台は成立しないこと
になる。
それは八代将軍の暴れん坊将軍
の時代に江戸城天守があるような
ものだからだ。
つまりドラマや映画は実在の歴史
事実とは合致していない。

(ウィンチェスターM1892を
構えるモーティマー大佐。
西部劇にはよく使われるM1892
だが、1880年を舞台にしていて
も登場することが多い。多くの
西部劇は時代考証を無視してい
るのである)


今夜も西部劇 ~ダスターコートの登場~

2017年07月16日 | open

以前、イラコバさんことイラストレーターの小林さんの画集で、
ダスターコートの初登場が『ヤングガン』であるということを
書いた。


その中で私は『11人のカウボーイ』(1971)の例を出したが、
さらに古い作品の『続 夕陽のガンマン』(1966)ではオープ
ニングのシーンで出てくる賞金稼ぎ3人が全員ダスターコート
着ている。

『続 夕陽のガンマン』(1966)




一人はハーフコート、二人がロングコートだ。





西部を馬で行くには埃よけ、雨よけのこのコートは欠かせないのである。


私のダスターコート(ハーフ)。
10数年前に購入したが、ほとんど着ていない。
これね、撥水スプレーとかガンガンに利かせたら、レイン
コートとしてもいけると思うよお。