とよく見聞きしますが、私はどちらかと言えば執念、根性で勝ちにこだわれと言ってきた人間です。
これについては、いろんな考え方があると思います。
ただ、今思うと、自分には勝ちにこだわっていたというよりかは、別のことにこだわっていることに気がつきました。
それは、勝ちにこだわる中で、
「なぜ負けたか」にこだわっていた。
ということです。
負ける理由ってたくさんあると思うんです。
ただ単に成長、体格の差であった。
審判の判断ミスであった。
本人のやる気がなかった。
本人の練習不足、努力不足だった。
指導力がなかった。
セコンドが悪かった。
親がマイナスに働いていた・・。
等数えればキリがないぐらい。
で、この度の負けの原因は何なのか?ということの分析にこだわってきました。
自分もそうですが、負けると悔しいし、冷静に分析出来なっていろんなことに腹が立ちます。
けど、よく考えたら、腹を立てても仕方がないところもあるし、負けた理由の中に自分が関与していないかと考えると、ただ負けたという感情だけで言葉は発せないと思うんです。
特に我が子の指導していたのは自分だし、セコンドについていた時にも的確な指示を与えていたら勝てた試合ではなかったかと考えると、なかなかそんな簡単に言葉は出てこない。
当然、本人に原因がある時もあります。
そんな時は目を覚ましてやらないといけないし、その方法も考えなければならない。
その方法が根性論の人もいるだろうし、スマートな方法の人もいるかも知れませんが、どれが正しいとか一概に言えません。
なぜ負けたか・・と考えると、一瞬腹は立つんですが、あれが出来ていなかった・・これが出来ていなかった・・と課題が浮き彫りになってくる。
そこをどう克服していくか、どう指導していくか、どう意識付けさせていくか。
その繰り返しでしかない。
大和はもっと技を磨こうとする意識を高めなければならないし、大晟は大学で勝負する準備の意識を高める必要がある。
大悟も現状を打破する練習を考えていかなければならないし、私自身もらどのように我が子に意識付けしていけるかを考えなければならない。
なぜ負けたか・・。
理由を分析するのも難しいし、分析し、課題が見えたとしても課題克服を実践してくのも難しい。
辛抱し、悩み、考えることも執念しかないですね。