昨日の続きです。
大悟が技が出なかった理由についてですが、他にもありました。
それは低学年時から黒田庄、姫路中央の選手達に負けたくないという私の気持ちが強すぎて、とにかく日頃から強い選手と練習させていないと勝負にならないと思い、体の大きな年上の子と練習させたり、闇雲に投げ込み等をしていました。
これによって、崩しであったり、動きの中でのタイミングであったり、『投げ感』を掴むことなく、ただただ根性だけで戦わせてしまったが故に、年下の実力差がある選手であっても、投げるタイミングが分からず、背負い投げ等の技で綺麗に投げるということが出来なかった。
これは今でもそうで、普通、大学生や強化選手ぐらいになると、中高生が相手であれば、いつでもどこでも綺麗に投げれるんでしょうけど、大悟の場合はバタバタと手こずり、側から見てると、『マジなんかな・・?』と思うぐらいなんです。
要は今でも大きな技で投げるタイミングが掴めていないんです。
ただ、その後、本人の努力もあって、その代わりとなる技を身につけてくれたので、高校生に手こずっても、講道館杯の常連選手を投げる技も身につけて行ったんですが、『投げ感』がないのは幼い頃の指導に携わった私の責任が大きいと思います。
大晟についても、そもそもが鈍臭いんですが、大晟も重量の同級生と張り合わせようとした為に、重量選手に負けなくとも、軽量選手との対戦が苦手になりました。
そういった反省をどう生かそうとしたのか。
大和については、やっぱり『自由』にさせて、実力が均衡した選手であったり、重量級の選手を『あえて』選んで練習させるといったことはしないようにしました。
また、他の選手を見る時間が増えたことも相まって、ベッタリとプレッシャーをかける時間も少なかった。
そうすると、兄貴2人にはなかったことなんですが、大和は、『親父、ちゃんと見てんのかよ!?』とあえて自分の前で練習をするようになりました。
大悟は指示したことを一生懸命やろうとした。
私は出来るまでやらせようとした。
大和は指示したことであっても、使えないと思うと一切しなかった。
私は『しっくりこないんだな』と直ぐに切り替えた。
どちらが正解かは分かりませんが、こちらの気持ちの持ちようで、子供の柔道スタイルってのは大きく変わります。
ただ、それって現在進行形だとなかなか気がつきにくいんです。
必死だし、一生懸命ですから。
我々のように、少し退いた人間の言葉も入りにくい。
『お前らは、もう終わってるからいいわい!』
めちゃくちゃ分かります。
だけど、当時、自分が言われて嫌だった『先々の為に・・とか長い目で・・』というのは、親の辛抱や覚悟であったり、親が学ぶことが不可欠なのかなと今は思います。
子供は本当に愚直だし、一生懸命です。
勿論、一生懸命じゃない、集中していない子もいます。
ただ、それって必ず理由があります。
その理由がどこにあると考えるか。
そんなことばかり考えていると、疲れるし、病みもするんですが、親は少し離れたたところで子供の様子を見ながら、ずっと自分の在り方を考えるべきかなと思っています。
じゃ、大悟は失敗だったの?と聞かれても、遠回りして失敗を積み重ねたからこその強みであったり、深みもある。
私もまだまだ現在進行形なので、何が正解で何が失敗だったか分からない。
だから、ずっとずっと勉強が必要なんだな。
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