く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「富士山噴火の歴史 万葉集から現代まで」

2014年01月29日 | BOOK

【都司嘉宣(つじ・よしのぶ)著、築地書館発行】

 昨年「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された霊峰富士。静かで雄大な富士山はまさに日本のシンボルだが、かつては活発な火山活動を繰り返し度々噴煙を上げていた。本書は万葉集をはじめとする和歌集や俳句集、紀行文など奈良~江戸時代の文学作品の中で、富士の姿がどう描かれていたのかを丹念に追った富士山の噴火史である。

   

 著者都司氏は東大理学系大学院で地球物理を専攻し修士課程を修了。主に古地震、津波を研究する理学博士で、2012年に東大地震研究所を定年退官し、現在は深田地質研究所の客員研究員を務める。本書の初版発行は約20年前の1992年だが、その後の東日本大震災の発生、世界遺産登録に伴う富士山ブームなどを機に、新たな知見を加えて改訂版の出版に至った。

 「万葉集」には長文の雑歌のほか、富士の噴煙を詠んだ作者不詳の歌が2首ある。そのうちの1首「吾妹子に逢ふ縁を無み駿河なる 不尽の高嶺の燃えつつかあらむ」(恋人に逢うすべがないので、駿河の国の富士山のように私は心を燃やし続けるだろう)。柿本人麻呂の撰といわれる「柿本集」にも1首、「古今和歌集」にも5首ある。いずれも内に秘めた恋心を富士の噴煙になぞらえている。

 平安中期の歌人和泉式部の歌にも2首。そのうちの1首「不二の嶺の煙絶えなんたとふべき 方なき恋を人に知らせん」。鎌倉時代の和歌集にも噴煙を詠んだ歌が見られる。西行「けぶり立つ富士に思ひの争ひて よだけき恋をするが辺ぞ行く」(山家集)、源頼朝「道すがら富士の煙もわかざりき 晴るる間もなき空の景色に」(新古今和歌集)、紀貫之「しるしなき煙を雲にまがへつつ 世を経て富士の山と燃えなむ」(同)。

 江戸時代に入って1707年には「宝永の大噴火」が起きた。この噴火による降下石砂の厚さは静岡県小山町須走で約4mに達し、降り積もった砂は御殿場で1m、小田原で90cm、藤沢で25cm、江戸でも15cmだったという。この大噴火は〝千年震災〟といわれる1703年の「元禄関東地震」の4年後、「宝永地震」の49日後に起きた。その後、噴出活動はほとんど止まった。

 昨年夏、著者は長野県小布施町の北斎館で偶然、葛飾北斎の版画の中に噴煙が上がる富士の絵があるのを発見した。北斎が40代に描いた「新板浮絵忠臣蔵」の中の「初段鶴ケ岡」で、鶴岡八幡宮の背景に噴煙が空高く立ち上る富士山が描かれている。制作年は1803~05年。この頃、噴煙を実際に見ることができた可能性は小さいことから、著者は忠臣蔵が起きた時代(討ち入り1702年)に噴煙が絶えず上っていたことを北斎が知っていて描いたとみる。北斎が60代に描いた代表作「冨嶽三十六景」には噴煙が全く描かれていない。

 著者は西暦700年からこれまでの約1300年間のうち噴煙があった時期を積算すると実に約650年に達するという。「つまり歴史の時代を長い目でみれば富士は半分の時期は浅間や阿蘇とおなじく日本列島を代表する活火山でありつづけた」。そして「現代は……噴煙が見られない時期が約300年もつづいてきた」が、「こんなことは長い富士の噴煙史上にはなかった。つまり富士は噴煙のない状態が長くつづいたほうが異常なのだ」と指摘する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする