【對馬達雄著、中央公論新社発行】
ヒトラー政権が誕生したのは1933年1月。深刻な経済危機の中で、アウトバーンの建設などで大量失業問題を解決したヒトラーに、ドイツ国民は熱狂し拍手喝采を送った。そして6年後、ドイツ軍のポーランド侵攻によって第二次世界大戦へ。ヒトラー独裁は自身が自殺し、連合軍に無条件降伏する45年5月まで約12年間続いた。この間、ホロコーストで虐殺されたユダヤ人は600万人以上ともいわれる。
本書は圧倒的多数の国民大衆がヒトラーを支持する中で、ユダヤ人の救援やナチ体制の打倒に取り組んだ有名無名の人々の活動の軌跡をたどる。多様な職業人によるグループ「ローテ・カペレ」や「エミールおじさん」、大学生による反ナチグループ「白バラ」……。それらのグループのメンバーには摘発され獄死した人も多い。「ローテ・カペレ」の場合、戦後も長らくソ連のスパイ網と誤解されていた。
ヒトラー暗殺の計画・未遂は40件余に上る。1939年9月、ヒトラーが演説するミュンヘンのビアホールの演壇に時限爆弾が仕掛けられた。だが演説を早めに切り上げたヒトラーは僅かな時間差で難を免れる。容疑者ゲオルク・エルザーは終戦の1カ月前、ナチ親衛隊員によって射殺された。44年7月20日には国防軍の反ヒトラー派による暗殺と軍事クーデターが決行されるが、失敗し7000人の逮捕者と200人の処刑者を出した。
この「7月20日事件」はドイツの敗戦がほぼ確実になった段階での出来事だったが、なお国民の大半がヒトラーを支持しており、「このニュースはヒトラーへの同情と、事件を起こした人びとへの憤激を呼んだ」。事件の遺族や生存者は戦後も「裏切り者」「反逆者」という烙印に苦しめられる。そこに「英雄視された被占領地のパルチザンやレジスタンスとの大きな違いがある」。
終戦6年後の51年に行われた全国世論調査でも「反ヒトラーの抵抗運動がなかったら、ドイツは最終的に戦争に勝ったか」という問いに、「勝った」または「多分勝った」と答えた人がまだ36%もいたという。52年の〝レーマー裁判〟の判決で裁判長は「7月20日事件」についてこう判じた。「確認できるのは、祖国愛と無私の自己犠牲の精神に基づいて国家と国民を救おうとする、行動の倫理的要素だけである。したがって国家への裏切りという誹謗中傷は許さない」