く~にゃん雑記帳

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<橿原考古研付属博物館> 特別陳列「十二支の考古学 酉」

2016年12月22日 | 考古・歴史

【年末年始恒例の干支シリーズ、鶏の埴輪や最古の「酉年」木簡など】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市畝傍町)で特別陳列「十二支の考古学 酉」が始まった。年末年始恒例の干支シリーズで、今回の展示で一巡する。新年2017年は十干十二支の呼称では「丁酉(ひのとのとり)」に当たる。今展では県内各地から出土した鶏の埴輪をはじめ、「酉年」の文字が記された日本最古の木簡、つがいの鶏が刻まれた古墳時代の鏡など「とり」に関する考古資料26点を展示中。会期は新年1月15日まで。(下の写真は㊧掖上鑵子塚古墳から出土した大型の鶏の埴輪、㊨一町西遺跡出土の板絵に描かれた鶏)

 

 日本で現存する最古の「酉年」の紀年銘木簡は7世紀後半の藤原宮跡の基幹排水溝跡から見つかった。左半分が欠けているが「辛酉年三月十日」と読める。その「辛酉年(かのとのとりどし)」は斉明天皇7年(661年)に当たるとみられる。伝金庾信墓と伝真徳王陵(いずれも韓国慶州市)の「十二支獣首人身像」のうち酉像拓本も展示されている。

 鶏は稲作とともに大陸から持ち込まれたとみられ、弥生時代の遺跡から鶏の骨が出土している。3世紀前半の纏向石塚古墳(桜井市)出土の「鶏形木製品」は鶏冠(とさか)部分に半円形の孔があり、紐を通し吊り下げて使われたとみられる。全体が赤く塗られているのは邪悪なものを祓う意味が込められていたと考えられている。古墳時代には鶏の埴輪が形象埴輪の一つとして古墳の周囲に並べられた。

  

 鶏埴輪は県内9カ所から出土したものを展示中。そのうち掖上鑵子塚(わきがみかんすづか)古墳(御所市)から出土した大型の埴輪は家・水鳥・蓋(きぬがさ)・冑(かぶと)などの埴輪とともに見つかった。尾の形は横に平たい「横尾」。蹴爪があることから雄とみられる。四条1号墳(橿原市)出土の鶏埴輪の尾はアーチ状に曲がっていることから「筒尾(つつお)」と呼ばれる。鶏埴輪の尾にはほかに「縦尾」という形もある。(上の写真は㊧纏向石塚古墳出土の鶏形木製品、㊥奈良教育大学付属中学校の敷地内から出土した鶏埴輪、㊨領家山古墳出土の鶏埴輪)

 国内で鶏が食用として大量飼育され始めるのは19世紀以降。それ以前は主に食用ではなく、闇にまぎれて近づく魑魅魍魎(ちみもうりょう)を退散させ、朝を告げる役割を担う鳥として雌雄つがいで飼われていた。4世紀前半の前方後円墳、佐味田宝塚古墳(河合町)から出土した「家屋文鏡」には、刻まれた4棟の建物のうち3棟にひとつがいの鶏とみられる鳥が2羽ずつ屋根の上に止まる。

 11世紀の一町西(かずちょうにし)遺跡(橿原市)からは人形(ひとがた)や斎串(いぐし)などとともに4枚の板絵が出土した。長さ33.5cm、幅11cm、厚さ0,2cmのヒノキの薄板に馬・牛・羊・犬とともに鶏が墨で描かれている。この板絵についてはお祓いに使用する御贖物(みあがもの=罪や穢れをあがなうため神に差し出すもの)として使われた動物形代の可能性が指摘されている。

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