く~にゃん雑記帳

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<牽牛子塚古墳> 復元整備事業が完了し公開

2022年03月20日 | 考古・歴史

【八角墳、女帝斉明天皇と娘間人皇女の合葬墓?】

 奈良県明日香村が2017年度から取り組んでいた飛鳥時代を代表する終末期古墳「牽牛子塚(けんごしづか)古墳・越塚御門(こしつかごもん)古墳」の復元整備事業が完成し一般公開が始まった。近鉄飛鳥駅から西へ1キロほど(徒歩で約15分)。牽牛子塚古墳は丘の上にまるで白亜のピラミッドのように聳える。そのすぐそば、南東側の裾の部分には小さな方墳の越塚御門古墳。この二つの古墳を巡る回遊路のほか模型広場や展望広場なども整備した。

 牽牛子塚古墳は墳丘の姿がアサガオの花の形に似ることから「あさがお塚」とも呼ばれてきた。築造時期は7世紀の後半。大きさは対辺長が22mで、墳丘の最下段を築造当時の大きさに合わせて復元した。内部の発掘調査では二上山の凝灰岩の巨石を刳り抜いた埋葬施設の墓室が二つあり、副葬品の玉類や人骨などが出土した。この古墳は立地や形態などから斉明天皇と娘で孝徳天皇の后の間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬した「小市岡上陵(おちのおかのえのみささぎ)」ではないかといわれている。

 八角形の古墳は畿内に5つある。そのうち3つは宮内庁により天皇陵に治定されている。段ノ塚古墳(奈良県桜井市)は舒明天皇陵、御廟野古墳(京都市山科区)は天智天皇陵、野口王墓古墳(明日香村)は天武・持統天皇陵。牽牛子塚古墳は国指定史跡になっている。同じ明日香村にあるもう一つの八角墳、中尾山古墳も国の史跡で、文武天皇陵とする説が有力になっている。

 越塚御門古墳は発見からまだ日が浅い。2010年に牽牛子塚古墳の発掘調査で埋め戻す際に偶然見つかった。一辺約10mの方墳。日本書紀の天智天皇6年(667年)の条に、「小市岡上陵」の前に大田皇女を埋葬したとの記述があることから、被葬者は大田皇女である可能性が高い。大田皇女は斉明天皇の孫で、天智天皇の娘に当たる。この古墳の新たな発見で、この地に斉明天皇が娘と孫娘と共に眠っている可能性がますます大きくなってきた。国は2014年、史跡名を「牽牛子塚古墳」から「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」に変更した。明日香村は4月1日から5月末まで事前予約制で石室の特別公開を予定している。

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