【中国に留学した山口宗季や師・孫億の作品も】
奈良市学園南の大和文華館で特別企画展「明清の美―15~20世紀中国の美術」が開かれている。今年は日中国交正常化50周年・沖縄復帰50周年。その節目に合わせて、多彩で華やかな文化芸術が花開いた中国・明朝(1368~1644)と清朝(1616~1912)の美術作品を展示。同時に、来日した中国画家や琉球から中国に渡って学んだ画家たちの作品も交え、当時の両国の文化交流の一端を紹介する。12月25日まで。
展示は所蔵作品に兵庫県立美術館蔵と泉屋博古館(京都市)蔵の特別出陳も含め46点。明代の作品でまず目を引くのが『文姫帰漢図巻』。全長が約12mもある巻物で、後漢の蔡文姫(177~?)の波乱の半生を描く。文姫は都の洛陽に侵入した北方の異民族に連れ去られ、南匈奴の左賢王の妻となる。12年後、曹操のとりなしで帰郷を果たすが、最愛の2人の子どもとは引き裂かれてしまう。その母子別離の場面がクライマックス。全18場面のうち13番目に登場する。
伝仇英筆・文徴明詞書の『仕女図巻』は1540年制作。宮仕えの女性たちが庭園で蹴鞠や鞦韆(しゅうせん=ブランコ遊び)などに興じる様子が色彩豊かに描かれている。張宏筆『越中真景図冊』は越(現在の浙江省)の名所を8つの画面に描いた1639年の作品。仇英は明代中期に、また張宏は明代末期にそれぞれ蘇州で活躍した。
龔賢(きょうけん)筆『山水長巻』は泉屋博古館蔵で、画面の長さが約5.4mもある幅広の作品。龔賢は清代初期に金陵(南京)で活躍した8人の個性的な画家「金陵八家(きんりょうはっか)」の中心人物とされる。また正統派の6人の大家は「四王呉惲(しおうごうん)」と呼ばれた。『聴松図巻』はその一人王翬(おうき)が山水を描き、弟子の楊晋が人物を描いた合作。四王呉惲の王原祁の『城南山水図』、惲寿平の『蓮池図』も展示中。
18世紀、清朝最盛期の第6代乾隆帝の頃に揚州で活躍した文人画家羅聘の『墨梅図』、汪士慎の『墨梅図冊』なども並ぶ。花鳥画に優れた個性派の彼らは「揚州八怪」と呼ばれた。『台湾征討図巻』という銅版画は乾隆帝の時代の1787~88年頃の作品。清朝の直轄領に組み込まれていた台湾で1786年反乱が起きる。その平定記念として制作されたもので、海と陸の激しい戦闘の様子が遠近法を使った迫力のある画面で表現されている。乾隆帝は自身の戦勝記念としてたびたび銅版画を作らせたそうだ。
江戸時代に日本を訪れた中国清代の画家の作品として2点が出品されている。沈詮(沈南蘋)筆『秋渓群馬図』と伝余崧筆『桐下遊兎図』。沈詮は1731年に長崎に来航し約2年間多くの日本の画家を指導し、与謝蕪村や司馬江漢らのちの大家たちにも大きな影響を与えた。蕪村の作品には沈詮の群馬図とほぼ同じ構図の『群馬図屏風』(京都国立博物館蔵)が残っている。清代、中国・福州(現在の福建省)には文化交流施設「琉球館」があり、琉球からの留学生が中国画家孫億らから手ほどきを受けた。その孫億の作品『梅花牡丹小禽図』や、福州で4年間孫億らに学んだ山口宗季の『花鳥図』、山口の弟子・座間味庸昌の『船上武人図』も展示している。