【アカデミー受賞作に主演、デモ巡る投稿で】
12月19日、朝刊の国際面を開いて、小さな記事に目が釘付けになった。「イラン、デモ巡り著名女優逮捕」という十数行の記事。かつて観たイラン映画の主演女優の顔写真が添えられていた。その女性は2017年に米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『セールスマン』に出演したタラネ・アリドゥスティさん。記事は反スカーフデモに参加し処刑された男性を巡って、アリドゥスティさんが交流サイト(SNS)に「流血を傍観し、何も行動しない国際組織は人類の恥だ」と投稿していた、と記されていた。
『セールスマン』はイランを代表する映画監督アスガル・ファルハディーの作品。引っ越した新しいアパートで夫の留守中、妻が突然侵入してきた男に襲われる。犯人を必死に捜す夫に、性被害を表沙汰にしたくない妻は多くを語らない。次第に2人の間には亀裂が深まっていく。犯人は転居先に以前住んでいた娼婦の関係者だった――。アリドゥスティさんの迫真の演技に加え、イラン映画の視聴が初めてということもあって強く印象に残った。
この作品はアカデミー賞の授賞式を巡るトラブルでも大きな話題を集めた。2017年2月当時、米トランプ政権はイランを含むイスラム教国7カ国出身者への入国ビザ発給制限を検討中。報道でそれを知ったファルハディー監督とアリドゥスティさんは抗議のため授賞式出席をボイコットしたのだ。日本での公開に合わせ初来日したアリドゥスティさんは会見で「授賞式の場にいたかったが、もし自分たちだけ入国できたら、イランの一般市民はどう思うだろうか」と当時の心境を吐露した。
イランが映画大国の一つなのを知ったのもこの『セールスマン』のおかげだった。その後、イラン映画を数本視聴した。今も画面の残像が浮かぶのが『運動靴と赤い金魚』(1997年)。兄が修理に出した妹の靴を帰宅中に失ってしまったため、兄妹は兄の運動靴をかわりばんこに履いて登校する。ある日、兄はマラソン大会の3等賞の景品が運動靴と知って出場することに。その景品の靴を店で妹用の新品に取り替えてもらいたい。ところが兄は1等に。肩を落とす兄、その雰囲気から事情を察する妹。その頃、父親は買い物を済ませ自宅に向かう。自転車の荷台にはピンクの可愛い靴も載っていた――。大きな瞳で泣いたり笑ったりする2人の豊かな表情が印象的だった。『ボーダレス ぼくの船の国境線』(2014年)も戦争の悲惨さを静かに訴える傑作。国境の川に浮かぶ廃船を舞台に、身寄りのない少年と戦争で家と家族を失った少女(+赤ん坊)、「もうイヤだ」と戦地から逃げてきた米兵の3人が言葉の壁を乗り越えていく様を描く。
イランではこのところ当局による映画界への弾圧が一段と強まっている。女優アリドゥスティさんの逮捕の前には、7月にモハマド・ラスロフ氏ら2人の監督が「社会の不安を煽った」として逮捕された。ラスロフ監督は2020年に『悪は存在せず』でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得した(ただ出国が禁じられ授賞式には参加できず)。さらに体制批判の公開書簡を出していたジャファール・パナヒ監督も逮捕され、2010年に言い渡されていた禁固6年の刑に服すため収監された。パナヒ監督はベネチアやベルリンの国際映画祭で最高賞を受賞しているイラン映画界の巨匠の一人だ。