【大学寮の建物配置と寮内のイメージを復元】
奈良時代の主要な役所は中枢部の平城宮内に配置された。ただ、その外側の町なかに置かれたものもあった。今回の特別展ではそのうち役人の養成機関だった「大学寮」と和同開珎などの貨幣を鋳造した「鋳銭司(じゅせんし)」を取り上げている。11月24日まで。
大学寮があったのはこれまでの発掘調査や平安京での位置から、平城京左京三条一坊辺り。「コ」の字型の掘立柱建物群の跡が見つかり、「大」「飯」「厨」などと書かれた墨書土器を含む須恵器なども大量に出土した。
大学寮で行われた教育は役人が身に付けるべき儒教や法律、計算能力など。「釈奠(せきてん)」という孔子を祀る重要な祭儀も営まれた。会場に入ってすぐ右側に、机を配置した教室の復元イメージが展示されていた。机上には筆⋅硯とともに「論語」などの書物が並ぶ。
故実叢書『大内裏図考証』の中にある平安京の「大学寮図」によると、寮内には7区画に本寮や廟堂、明経道院などの建物があった。西側は空閑地になっていた。奈良時代の平城京での建物配置もほぼ同じだったと推定される。
下の写真はその推定復元模型。奈良文化財研究所が朱雀大路に隣接する西側の空閑地を発掘したところ、724年に即位した聖武天皇の大嘗祭に関するとみられる大量の荷札木簡が出土した。それらの木簡類はいま平城宮跡資料館で展示中。
【和同開珎の「現在知られる唯一の母銭」展示中】
奈良時代に鋳造された貨幣は和同開珎、萬年通宝、神功開宝の3種類。このうち和同と神功の2種類は平安京の町なかでも鋳造されていた。左京三条四坊の和同開珎鋳造遺跡からは焼土の詰まった土壙31基が見つかり、るつぼ⋅ふいご羽口、銅滓なども出土。左京六条一坊の井戸からは神功開宝の鋳型などが見つかっている。
展示物の中で注目を集めるのが和同開珎の「現在知られる唯一の母銭(ぼせん)」。長屋王の屋敷があった場所の井戸から出土した。母銭は銭貨の鋳型を作るためのもの。通用銭よりやや大きく、文字を際立たせるため字画に沿ってケズリを入れ、型抜きしやすいように方孔や周囲の縁が丸く仕上げられている。