【今年は16基のうち5基が巡行】
滋賀県甲賀市水口町の水口神社で20日、にぎやかに「水口曳山祭」が繰り広げられた。神社の祭礼に曳山が登場したのは今から約280年前の江戸中期・享保20年(1735年)といわれる。最盛期には30基ほどあったそうだが、今も17町内に16基(1基は2町内で共有)がある。曳山祭には毎年このうち数基が参加しており、今年は米屋町、天王町、松原町、旅籠町、柳町から5基が曳き出され、軽快な水口ばやしに乗って次々と宮入した。
水口は水口藩(加藤氏2万5千石)の城下町で、東海道五十三次の50番目の宿場町として栄えた。豪華な曳山が往時の町衆の経済力と心意気を示す。今年の曳山5基はいずれも江戸時代後期に造られたもので、構造は高さ5~6mの2層露天式。下に囃子方が乗り、天井の上には趣向を凝らしたダシが飾られる。今年は桃太郎や福の神、恐竜などだった。ただ柳町は江戸時代からの伝統で、毎回神功皇后が鮎釣りをして占いを行ったという故事に因む人形を飾っているそうだ。曳山の後方には鳳凰や鯉の滝登りなどおめでたい題材を刺繍した見送り幕が飾られていた。
曳山が勢揃いする中、境内で祭り情緒を一層高めていたのが水口ばやしと呼ばれる太鼓、鉦、篠笛によるお囃子。各曳山の前で若衆や子どもたちが息を合わせて軽快なお囃子を披露すると、多くの観客が半円形に取り囲んで聴き入り、中にはお囃子に合わせリズミカルに体を動かす人もいた。小太鼓を打つ子どもたちの真剣なまなざしが印象的だった。午後2時すぎにはお渡りの神輿が境内を出発したが、お囃子はその後も延々と続いた。
水口ばやしは江戸の祭囃子の流れを汲むという。ただ一口に水口ばやしといっても、同じお囃子でも地区ごとに曲名が異なる。宮入や上り坂などで奏される軽快なお囃子は東地区(12基)で『八妙(やたえ)』、西地区(4基)で『屋台』と呼ばれる。また平坦な道を進むときのゆったりしたお囃子も東では『馬鹿』、西では『四丁目(しちょうめ)』。さらに同じお囃子でも曲調が町内ごとに微妙に違うそうだ。曳山の豪華な屋台とともにお囃子にもそれぞれの町の伝統と誇りが詰まっているのだろう。お囃子を聴くことができただけでも祭り見物に出かけた甲斐があった。
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