私の立っている場所の下には、台湾が日本に統治されていた時代の『日本人居留区』が沈んでいます。
当時この辺りには濁水渓の水を堰きとめる『水庫』の建設のため鹿島建設関係の方たちが多くこの地に住んでいました。
度重なる川の氾濫や増水のため最終的には住居を近隣に移したそうです。【数度の移住によって現在は近隣の萬豊地区へ】。
この日は、当時この村で警察官をされていた友人(現在92歳)に挨拶に行って来ました。
遠くから見た『日本人居留区』跡。突き出ているのは、吊橋の橋桁です。
吊橋の橋桁から川を隔てた山までの一帯に日本人が住んでいた村があったそうです。
山根さん(当時警察官としてこの地に勤務)の話では、たぶん川の50メートルぐらい下に埋もれているとの事です。
当時は、警察署、神社等もあったそうです(当時のこの辺りの土地の図面あり/ゲストハウス保管)。
鹿島建設の人たちが中心となって建設された【水庫】/現在の様子。
濁水渓。