【突き出しているコンクリート部分は吊橋の柱】
ここは武界から暫く進んだ濁水渓の途中にある日本人村の跡です。
この川の50メートル近く下には日本統治時代に存在していた日本人の居住区が沈んでいるそうです。
以前(統治時代)この日本人村で警察官をしていた方からの直接の情報なので間違いないと思います。
【当時この先の『水庫』を造るために鹿島建設の人たちが大勢日本から移り住んでいたそうです。
この村には警察署、神社、小学校なんかもあったそうです(当時の図面あり)。
度重なる川の氾濫でこの地を余儀無く離れる事になったそうです。
この地に住んでいた人たちの末裔は、今では更に上流の萬豊と言う原住民に移住しています。
濁水渓。 この辺りに来る度に複雑な気持ちになります。