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【武界水庫】
台湾最大の河川、濁水渓を堰き止めてこちらの水庫が作られています。
こちらの『水』は、水力発電や日月潭の水源にも利用されています。
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水庫にある『壩』と呼ばれる水を溜めておく巨大な(堤防)は、日本統治時代の1919年(大正8年)~鹿島建設によって建造されました。
現在でも、ここから12kmほど離れた日月潭へ送水されていて、水力発電にも利用されている重要な水源です。
現在の所有は、台灣電力公司(発電会社)になっています。
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始建時間: 1919 年
位置: 南投縣仁愛鄉武界
坝体积: 105,740立方公尺
壩頂寬度: 6.06米(20英尺)
始建: 1919年
所有者: 台灣電力公司
ちょっと’裏話’ですが、二十年ぐらい前の陳水扁政権の時にこのダム湖システムを台湾人の手で新たに造り直そうと画策した事がありました。
設計や準備に取り掛かったのは良かったのですが(かなりの資材を既に受注)、予想以上に工事の難易度を極め、結局は頓挫⇒計画白紙撤回。
その時に、台湾全土に昔の日本の技術レベルの高さを思い知らせました。当時私もテレビニュースで見ていて凄いなあと思いました。
以下、『日本人村の跡』。
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現在では川底に沈んでしまっていますが、以前はこちらに日本人村がありました。
武界壩工事の鹿島建設関係の人たちが多く住んでいたそうですが、度重なる川の増水氾濫と川幅拡張等もあって
4~5回も村ごと引越しを余儀なくしたそうです。
現在では、更に上流になる萬豊と言う場所で落ち着いています。
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当時、日本人村には大きな’吊橋’があったそうですが、現在確認できるのは『地面から突き出している ’ 吊橋の橋桁のみ ' 』です。
以前日本統治時代に、日本人村で警察官をされていた山根さんの話では、この突き出ている橋桁の数十メートル地中に日本人村が埋まっているとの事です。
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山根さんが当時の警察官上司(日本人)から命令されて作った記録書にある『当時の日本人村の地図』。
興味のある方はじっくりとご覧ください。
≪山根さんが製作した記録書は私と片倉氏が一部保管しています。≫
神社、派出所、学校、吊橋、も地図上で確認できますね。
私も日本人として、感慨深いものを感じます。
【故山根さん(当時92歳)と 】
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日本時代の警察官って感じですね。懐かしいです。