【人口600人程の法治村】
日本統治時代、この辺りは広範囲に渡って『卓社』と呼ばれていたエリアで、何ヶ所も原住民がありました。
『法治村』は比較的大きな村で、インフラもかなり整えられていて、警察署や日本人が駐在する診療所なんかもありました。
今では、道路もしっかりと整備されているので、埔里市内から車で40分程で行ける山間にあるです。
埔里から向かうと先ずこのゲートを通過する事になります。
農作物を栽培して鶏を飼う。時々イノシシやキョン等の狩を行う。皆さんすごく素朴な生活をしています。
ほぼ自給自足の生活。特に何があると言う様なではありませんが、いつ来ても景色だけは良いので気分が良くなります。
因みにには電気は通っていますが、ガスが無いので、今でも薪(まき)を利用している家庭がたくさんあります。
崖の中盤に以前の道の痕跡があります。いつも見る度に、すごい所を歩いていたんだなと関心させられます。
日本人が住んでいた『日本人村』の痕。
今では川の底に沈んでいて、当時の吊橋の橋桁だけが川から突き出しています。(写真右の方に吊橋の橋桁あり)。
法治村へ行かれる方へ:埔里市内からもバスが出ていますが、便数が非常に少ないで事前に調べて行った方が無難です。