私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

木梨之軽王の用意した武器がなぜ銅製だったのでしょうか???

2016-05-02 17:18:29 | 日記

 允恭天皇の死後、当然、長兄軽王が次期天皇になることに決まっております。でも、その妹との関係から。二人の同母の兄弟皇子が、図らずも、相対立することになり、戦闘準備に入ります。でも、弟穴穂御子の方が作った武具から行っても、戦術的にも勝れており、また、臣たちの信望も高く、その勢いは誰の目にも弟君の方が優勢です。
 そのような情勢から、兄軽王<カルノミコ>は大前小前宿禰大臣<アホマエヲマエノスクネノオミ>の家に逃げこみ、助けを求めます。この大臣について、本居宣長は、詳しくその出身(家)に付いて説明していますが、あまり込み入っていますので省略しますが、物部氏の一族であるのです。

 この軽皇子が逃げ込んだ物部氏は、5世紀の初めには、朝廷の軍事力の一翼を大伴氏と共に担っていた大部族ですが、と同時に、呪術の役割も担っていたのです。そう考えると、軽皇子が逃げ込んだ大前小前宿禰という人は、当時、物部氏とは言っても、朝廷でその呪術の職務を担っていた家ではなかったのかと考えられます。
 そう考えると、この矛盾が解けるように思えるのですが。どうでしょうか???
 
 誰も、この事件に付いて触れている人はいないのですが、軽皇子側が用意した武器が銅製の祭紀用の矢じりであったという理由がそれで説明できるのではないかと思われます。