私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

今日は5.15事件”犬養木堂忌”です

2016-05-14 13:55:25 | 日記

 5・15事件(1932年)「話せばわかる」で有名な犬養毅<木堂>の暗殺された記念日です。それ以後の日本が、満州事変などの事件を経過して、どうなったかということはもう十分お分かりだと思いますので省きます。

 その記念日に毎年ですが、私は小さな木堂のお祭り我が家でしております。その写真を見て下さい。

                                                                                                                                                                                                                         

                     

  床の間に置いております本は「リットン報告書」で、花瓶に使っている鉄器は満州事変の初日に使われた南領での日本軍の砲弾で、大変珍しい物だそうです。次の掲げている「慈悲」の色紙は死の直前(5月10日頃)に書かれたものだと言い伝えられております。なお、木堂の漫画は、宍戸左行の絵です。この絵も、現在日本には、ほとんどないのではないでしょうか???(大正14年5月頃描かれた漫画です。)

 まあ、こんなものを並べて、一人で悦に入って、喜んでおります。お笑いください。


衣通姫はその後・・・

2016-05-14 09:42:46 | 日記

  ”明かして通れ”と兄君の伊予の国へ流されていくのを見送った衣通姫ですが、その後です。それに付いて古事記には簡潔に

  ”故後亦不堪恋慕施而<カレ ノチニマタ  オモヒカネテ>”

 兄上でもあり、亦、恋しい夫でもある軽太子に対して恋慕の情に耐えがたく、どうしても逢いたくて逢いたくて仕方なく。決心をして

  ”追往<オイ イマス>”

 兄君の流刑地である伊予の国まで追いかけて行きます。それが「追往」です。後先のことまでも考える暇もなき位に、只、「あなたに逢いたい」という一心の姫君の情熱がそのような行動を取られたのだと思います。それが、その後の己の人生にどのような影響を及ぼすかも分からず、ただ、すぐにでも逢いたいという心に駆られて、後を追いかけて伊予まで行くのです。そのどうしようもない乙女の心を、ここでも、たった「追往」という文字の中に込められて書かれております。
 その時に衣通姫が作った歌が次に紹介されていますが、此の歌につても、なかなか面白いのであすにでも改めて・・・・

 この”往<イマス>”について、例の宣長の説に従って読んで見ました。<オイユク>とした本もあるようですが。