衣通姫は伊予の国へその兄君を追い掛けるように、”追往”、訪ねてます。その時に歌った歌です。
「君が行き 日<ケ>長くなりぬ
山たずの 迎へに行かむ 待つには待たじ」
と、いう歌です。
でも、この歌は、一説には、「吉備の美女その2」でお話した、仁徳天皇の后“石之日売命<イワノヒメノミコト>の嫉妬から逃れるために吉備の帰っていた吉備の美女”黒姫”を訪ねて吉備へ行幸された天皇があまりにも長く吉備にいたために、その時に歌た大后「石日売命」が作った歌だともと言われています。また、万葉集にも仁徳天皇の大后の歌だとして紹介されております。
ですが古事記には衣通姫の歌だとされております。
マア、このように古事記には、何と歌の多いことかと改めて驚かれされます。太安万侶一人が本当にこれだけの物を覚えていたのでしょうかね。文字もない時代ですにね。