“斎杙には 鏡を掛け
真杙には 真玉を掛け”
ここまでは、愛しい我が妻に再会の嬉しさを引き出すための序文ですが、「鏡や真玉」を歌の中に使ったと言う所に、此の歌の神秘さというか、その後の此の二人の運命を物語っているように思われますが????
この「鏡や真玉」は、当時の人達が誰でもが手にすることのできる物ではありません。神の領分というか特定の支配階級の者にしか手にしたり目にしたりすることができない物でした。特に、シャーアマン的な存在の人物だけが手にすることが出来るものです。と考えると、もしかして、軽大郎女、衣通姫は、朝廷で、あの卑弥呼的な役割を担っていたのかもしれませんね。神聖にして犯すべからざる神の御子(巫子)としての存在なのです。永遠の処女でなくてはならない、それが当り前です。それなのに、ましてその同母兄と、在ってはならない当時の社会でも禁忌行為なのですが、それも、敢て、破って結ばれたのです。
此の度の、衣通姫の旅も、相当の思いやそれにもまして強い覚悟はあったと思われるのですが、何もかにも打ち捨てた、非難は覚悟の愛の逃避行だったのです。それを見通してのその兄でもあり、また、夫でもある「木梨之軽王」の、よく遥々と伊予の国までく来てくれたと言う、その妹であり妻である衣通姫に送った「愛の讃歌」です。普通の恋人同士の愛の歌ではありません。深い深い誰にもわからないような二人だけの愛の賛歌なのです。
その思いが
真玉なす 吾思う妹
鏡なす 吾思う妻
となったのです。「玉」が先に「鏡」が後に、それから、妹、「我が恋人よ」として、その次に「妻よ」と歌っているのです。此のあたりの書きぶりにも軽御子の思いがに表われているように思われます。
「そげえなこたあ どうでもええ。はよお つぎへ すすまにゃあ」、とお叱りが覚悟しております。あしからず!!!???です。