軽御子と軽大郎女のご兄妹(同母)同士が相思相愛の深い仲になるなんてことは、そのような関係は当時の社会でも、決して、あってはならないと堅く禁じられていたことですが、その掟をも無視して、二人は心も体もに深く結びついていました。それが為に、軽御子は天皇位までも剥奪されて、終には、伊予の国へ流罪となって送られます。その時、衣通王<ソトホシノミコ>が”献<タテマツル>”歌の中に
”阿比泥能波麻<あひねのはま>” (阿比泥の浜)という言葉があります。
この「阿比泥の浜」に付いて、昨日も少々触れたのですが、伊予の国にある何処かの浜辺だが、今のところ、その場所は特定できないと、古来から、本居宣長を始め多くの学者のみなさんがいっております。でも、衣通王は、未だかって伊予の国になどに行ったこともありません。だから、そんな名の浜辺があるなんてことは知ってるはずがありません。私はそれに付いて“阿比泥”、即ち、「相寝」ということを云っているのではないかと思うのですが、誰もそんな事を云った人はいませんが。だから、この歌の意味を私は次のように解釈してみたいのですがどうでしょうかね???
「本当の妹である私が、あなたの妻となって、ご一緒に相寝たなんて、そんなタブーなお話は、どうぞ、伊予の国に行かれた時は、決して、人には話なさないようにして避けて下さい。それが、伊予の国に於いて、あなたが一番安泰に暮らせる秘訣ですから」
と、いうぐらいの意味になるのではないでしょうか???妹の兄に対するというか最愛の夫に対する、精一杯の、惜別歌ではなかったのではないdしょうか
もう一度その歌を乗せておきますのでお読みください。
夏草の 阿比泥の浜の 蠣貝に ”那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐賀比爾
足踏ますな 明かして通れ 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富禮”