9日の朝刊に、鷲田清一さんが取り上げて説明しておる言葉が出ております。苅谷氏の本からだそうです。
“根拠がしめされていなくとも、「ああそうなんあだ・・・・・・」と事態の確認材料を提供できれば、神話は神話としての使命を果たしている。”
どうですか???時間的経緯などは殆ど無視して書かれてある、遠い遠い昔にこんあことが「あったそうだ」という伝承文学を、まことしやかに信じてはいないのではと思われますが、さもあったが如くに語られてきたのが神話だろうと思います。その神話の使命とは何かと問われても、はたと、困ってしまういます。その使命までは、私はこれまでついぞ考えたことは無かったのですが、改めに今朝の記字を見て、そう言われますと、なるほど、神話が神話として、できもしそうにないような摩訶不思議な物語の展開も、それが「神話の使命」だとすると、それをそのまま素直に解釈して、昔にはそうなんだったと思えばいいのです。何も現代と比較しながら読まなくてもいいのです。
「オホクニが生き返った」
「そうですか。それはよかったね」
一々これはどうだ、あれはこうだなんて考えずに、古事記にある事をそのまま読めばいいのですよね。書かていることが「確認材料」そのままなのですから、それで済むのです。ISPだ何だと屁理屈をこいて仰々しく書く必要はなかったのですよね。今朝の新聞から我が身を反省させられること頻りです。