「おかあさん」と云う言葉の響きに付いては、先日、書いたのですが、それが「母」になると、全く、その響きと云いましょうか、そのニワンスが異なって我々の胸に押し迫ります。どう違うのか、一々解説しなくてもお分かりいただかえると思いますが、優しさだけでなありません,その持つどうしようもないほどの力と云うか何ものにも代えがたい強固な意識がその言葉の響きの中に、泉の如くに湧き出して、不思議な魅惑的な感覚に陥れます。
オホクニは兄たちの慎重に設える穴の中にも危険は承知で堂々と入ります。護身用の刀などの武器か何かは、当然、彼は携さえていたと思われますが、古事記には、何も書かれてはおりませんが、その木の間に挟まれて
”拷殺<ウチコロス>”
されます。「拷」とは「たたく」と云う意味があります。木と木でオホクニの体をはさみうちにして殺そうとしたのですが、挟まれたのですがすぐ死んだわけではありません。その間に挟まれていたのですが手に持っていただろう刀などで守られ、体の自由が聞かないだけで死には至ってはおりません。するとそこに、又もや、どのような方法で知り得たのかは分かりませんが、彼の母
“刺国若比売<サシクニワカヒメ>”
が、泣き叫びながら木に挟まれて身動きできなくなっている息子の側に飛んできて、すぐ木から助け出します。「母は強し」です。母は
“坼其木而取出活<ソノキヲ サキテ トリイデ イカシツ>”
我が子を助けます。これが神話の世界の物語です、それ以上も以下でもありません。此の2回もの兄弟たちによる殺害計画を知って、母は考えます。この出雲の国にいたならば、又いつかは、必ず、オホクニは殺されてしまうだろう。どうすればそれを防ぐことができるのかと。
」