私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“手足和那那岐弖”。ここでも古事記の私流深読みです

2019-09-07 09:35:29 | 日記
 中の兄「神八井耳命」に出陣を願います。

   「お兄さん。どうぞタギシミミを殺して来てください。」

と。そこで兄は、早速、兵を連れてタギシミミの陣へ駆けつけます。母の歌に

   “夕されば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる”

 とあるように、タギシミミは、既に、戦闘の準備が整って、出陣は今か今かと待機している時です。そこに、急に、思わぬ敵の来襲です。相当慌てたと思います。そらあたりの戦況は分かりませんが、兎に角、カムヤイミミの兵が相手の陣地に押し入り、今にも、カムヤイミミが刀を抜いて、タギシミミを打ち殺そうとしますが、この人、相当な人情家というか、人間性に富んだ人だったのでしょか、義理である兄が、例え自分達の殺害を計画している敵だとしても、どうしても切り殺すことができません。それを古事記には

      “・・・将殺之時。手足和那那岐弖。不得殺”
   <シセミトシタマフトキ テアシワナナキテ エシセタマワザリキ>

 と書いてあります。「手足がぶるぶると震えて 殺すことができなかった。」のです。

 昨日も書いたのですが、一番上の同母の兄である「日子八井命」はこの戦闘には初めから参戦しておりません。やはりこの中兄同様に義兄殺害の戦いにためらって不参加していたのではないでしょうか???

 そう考えると、この末子

         “神沼河耳命<カミヌナカワミミノミコト>

は、アマテラスから言われたこの日本国を、
        「是非、強靭な国家に」
 創り上げようとする信念に燃えていた情熱家の皇子だったのでしょうか???二人の兄のように人間性豊かな人では、決して、相当に乱れていた人心の蔓延る当時の日本を統一できることができなかったということを意味しているのではないでしょうか??