「自分は天下を治めるに適してはいない。」
と兄は弟の武勇を讃えて言います。そして
“汝命為天、治天下”
<ナガミコト カミトマシテ アメノシタ シロシメセ>
「お前が天皇となって、天下治めなさい。」
と兄が弟に言います。この“汝命為天”について、宣長先生は説明しております。
「上代には日嗣ノ御子は一柱と限ってはなく、兄弟の内で「武<タケキワザ>」武勇のすぐれていた皇子が天ノ下を治<シロ>しめていたのだ。」と
それは先に見た「日本書紀」
「お前は武勇に優れているから(“汝持挺神武”)天下を治めなさい。」
に述べられています。これからも分かるように、後の世に言われる「皇太子」という身分は、その時にはなく、武勇の優れている兄弟の中から、年齢とは関係なく、相談の上で太子<ヒツギノミコ>を決めていたのです。
なお、神武天皇は、日本書紀によると、第四子であるのも関わらず、十五歳の時に「太子」になられておられます。
と兄は弟の武勇を讃えて言います。そして
“汝命為天、治天下”
<ナガミコト カミトマシテ アメノシタ シロシメセ>
「お前が天皇となって、天下治めなさい。」
と兄が弟に言います。この“汝命為天”について、宣長先生は説明しております。
「上代には日嗣ノ御子は一柱と限ってはなく、兄弟の内で「武<タケキワザ>」武勇のすぐれていた皇子が天ノ下を治<シロ>しめていたのだ。」と
それは先に見た「日本書紀」
「お前は武勇に優れているから(“汝持挺神武”)天下を治めなさい。」
に述べられています。これからも分かるように、後の世に言われる「皇太子」という身分は、その時にはなく、武勇の優れている兄弟の中から、年齢とは関係なく、相談の上で太子<ヒツギノミコ>を決めていたのです。
なお、神武天皇は、日本書紀によると、第四子であるのも関わらず、十五歳の時に「太子」になられておられます。