今日から「古事記」にと思い早速開きます。すると、
“不宜為上”
という文字が飛び込んできます。そう言えば、昨日までの「日本書紀」には
“宜哉乎”
<ウベナルカナ>「当然である」という意味です。が、ここでは“不宜”を、<ナルベカラズ>で、「よろしくない。適していない」という意味になります。どちらもその意味する所は同じですが、それぞれに使い方に相違が生じております。太安万侶と刑部親王の表現の工夫がこのような所にもはっきりと表れています。肯定的に使う場合と否定的に使う場合とに分けて、しかも、その意味する所は結局は同じですが、表現的にその違いを夫々に慮ってです。
“不宜為上”
<カミトナルベカラズ>
「自分はあなたの兄だけれども、天皇として万人の上に立ってこの国を上手に統治することができない。<ベカラズ>、上に立つ者として適任ではない、決して、そんなことをしてはいけない。」
というぐらじの解釈になります。それがたったの4文字「不宜為上」を使って的確に表現されております。
このような書きぶりからしても、私はどちらかと云えば「古事記」の方が好きです。これも蛇足ですが?????????
“不宜為上”
という文字が飛び込んできます。そう言えば、昨日までの「日本書紀」には
“宜哉乎”
<ウベナルカナ>「当然である」という意味です。が、ここでは“不宜”を、<ナルベカラズ>で、「よろしくない。適していない」という意味になります。どちらもその意味する所は同じですが、それぞれに使い方に相違が生じております。太安万侶と刑部親王の表現の工夫がこのような所にもはっきりと表れています。肯定的に使う場合と否定的に使う場合とに分けて、しかも、その意味する所は結局は同じですが、表現的にその違いを夫々に慮ってです。
“不宜為上”
<カミトナルベカラズ>
「自分はあなたの兄だけれども、天皇として万人の上に立ってこの国を上手に統治することができない。<ベカラズ>、上に立つ者として適任ではない、決して、そんなことをしてはいけない。」
というぐらじの解釈になります。それがたったの4文字「不宜為上」を使って的確に表現されております。
このような書きぶりからしても、私はどちらかと云えば「古事記」の方が好きです。これも蛇足ですが?????????