私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

 日本書紀に、そこら辺りの事が詳しく・・・・

2019-09-09 05:52:20 | 日記
  昨日、“兵<ツハモノ>”を「刀」、即ち、「草那藝剣」ではと書いたのですが、またも
 「おいおい、ええかげんなことばあ かきょうたらおえんど。しょきゅう みてみや。」
 と、ご忠告です。
 何が「書紀」には書いてあるのかなと、近頃、とんと、遠ざかっていた日本書紀を急ぎ開き見ます。「神武天皇」の項には何もないのですが、二代「綏靖天皇」の項に詳しくそのいきさつの記述が見られます。

 ここで、またまた古事記を他に置いていて、しばらく日本書紀の記述を書いてみますので、お読みいただけますと幸いですが・・・・

 さて、紐解いて、まず、驚いたのが「神渟名川耳<カムヌナカワミミ>天皇」はジンムの第三の子<ミコ>と書いてあるではありませんか??古事記では「神沼河耳命<カムヌナカワミミノミコト>は四番目の皇子です。また、古事記にある「日子八井命」は、書紀には有りません。だから、書紀には「三子」としてあるのです。
 また、これも記紀の違いですが、その母を、古事記では
          “伊須気余理比売<イスケヨリヒメ>”
としておりますが、書紀には
          “媛蹈鞴五十媛命<ヒメタタライスズヒメノミコト>”
 となっております。
  なお、その父に付いても、古事記にはイスケヨリヒメの父は「大物主神」ですが、書紀のイスズヒメの父は「事代主神」になっております。(但し、「大物」も「事代」も同じ神様ですが???)