私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

仲哀天皇の時代の建内宿禰は・・・・

2019-11-10 09:30:49 | 日記
 「成務天皇」は95歳で亡くなっているのですが(在位60年)、それにしては記録があまりにも少く、どのような政治がなされたかは不明です。あの「日本武尊」の弟です。此の天皇にも御子が一人いたと書かれていますが(書紀にはなし)は早世したのでしょうか、次の天皇は日本武尊の御子
        “帯中日子天皇<タラシナカツヒコノスメラミコト>”
です。「仲哀天皇」です。

 此の天皇の時、どうしてかは分かりませんが、今の山口県の「豊浦宮」や福岡県の「訶志比宮」に宮殿を造って天下を治めます。(大和から離れた場所です)
 その大后は
        “息長帯日売命<オキナガタラシヒコノミコト>”
 「神功皇后」です。
 
 ある時、天皇は謀反を企てた九州の熊襲族を征伐することになり、建内宿禰に宮殿前の庭で、神に戦勝を占いさせます。そのお告げが、どうしたことか、
     
     “於是大后帰神<ココニ オホギサキ カムガカリシテ”

 神功皇后の口を通して返ります。

 「ここから西の方に金銀が一杯ある国がありからそこへ行って、その宝物持ち帰ってきなさい。」

 と、熊襲征伐の事ではなく「西の国にある金銀財宝を取れ」が神からの占い言葉です。それを聞いた天皇は・・・・

  まあ、しばらく此のお話の続きをお聞きください。