又ちょっと余残事ですが・・・
仲哀天皇が熊曾との戦いの戦勝を占う為に
「御琴を控(ひか)して」
戦いの成果を占ったのです。
このように上代の政治は「ト占」によってなされたのですが、その占いをする時には、必ず「琴」が大切な働きをしていたと云うことが分かります。
あの大国主命が須佐之男命の娘須世理毘売と手に手を取りてスサノヲの神殿から逃げ出す時に持ってきたものの中に
“天詔琴<アメノノリトゴト>”
がありましたが、この上代の「琴」は、亦、宣長によりますと
「神の御心を問ぬとて、其ノ命<ミコト>を請い申すには、必ス琴を弾り、時には其ノ神、琴の上に降り来て、人に著(かかり)て命を詔たまふ。」
と説明がしてあります。更に
「かかれば琴と云名は、神の来て詔言(のりとごと)し賜う所、と云意につけたるものなり。」
とあります。
このように上古の「まつりごと」には「琴」が大切な役目を果たしたのです。
仲哀天皇が熊曾との戦いの戦勝を占う為に
「御琴を控(ひか)して」
戦いの成果を占ったのです。
このように上代の政治は「ト占」によってなされたのですが、その占いをする時には、必ず「琴」が大切な働きをしていたと云うことが分かります。
あの大国主命が須佐之男命の娘須世理毘売と手に手を取りてスサノヲの神殿から逃げ出す時に持ってきたものの中に
“天詔琴<アメノノリトゴト>”
がありましたが、この上代の「琴」は、亦、宣長によりますと
「神の御心を問ぬとて、其ノ命<ミコト>を請い申すには、必ス琴を弾り、時には其ノ神、琴の上に降り来て、人に著(かかり)て命を詔たまふ。」
と説明がしてあります。更に
「かかれば琴と云名は、神の来て詔言(のりとごと)し賜う所、と云意につけたるものなり。」
とあります。
このように上古の「まつりごと」には「琴」が大切な役目を果たしたのです。