まあそこら辺りはどうでもよいのですが、兎に角、当時の世では渡航が生死を分けるような大変危険な海であった「玄界灘」を、気象も味方したのでしょうか、何の事無く新羅まで推し進めることが出来たのです。吉備の海人<アマ>達の卓越した航海術もあったことは確かですが・・・ところが、それからがまた古事記の記述の不思議さが続いて現れます。
“其御船之波瀾。押騰新羅之国”
と書かれています。
「神功皇后を乗せた船を海の波に乗せたまま新羅の都「金城」まで推し上った。」
のです。皇后たち倭人を乗せたまま船団が内陸にある金城までの押し上ります。現実には不可能なことですが、皇后の軍が一気呵成に新羅の首都を攻撃したと云うことを言い表しているのではないでしょうか???その結果を古事記では
“其国主畏惶奏言<ソノ コニキシ オヂカシコミテ モウシケラク>”
と。なお、「国主」を<コニキシ>「畏惶」を<オヂカシコミテ>と宣長は読んでいます。誰でもは読む事が出来ない面白い読み方だとこれ又感心しどうしです。
“其御船之波瀾。押騰新羅之国”
と書かれています。
「神功皇后を乗せた船を海の波に乗せたまま新羅の都「金城」まで推し上った。」
のです。皇后たち倭人を乗せたまま船団が内陸にある金城までの押し上ります。現実には不可能なことですが、皇后の軍が一気呵成に新羅の首都を攻撃したと云うことを言い表しているのではないでしょうか???その結果を古事記では
“其国主畏惶奏言<ソノ コニキシ オヂカシコミテ モウシケラク>”
と。なお、「国主」を<コニキシ>「畏惶」を<オヂカシコミテ>と宣長は読んでいます。誰でもは読む事が出来ない面白い読み方だとこれ又感心しどうしです。