古事記に書かれている「擧田天皇の誕生秘話」は此の他沢山あります。その一つを・・・
まだ、新羅との戦いの最中の事です。「神功皇后」のお腹の御子が生まれそうになったのだそうです。そこで、神功皇后は「もう少し生まれるのを後に引き延ばしていただきますように・・・」とお祈りをして、そこら辺りに転がっていたのでしょうか「石」を取ってスカートの紐の部分に取り付けられたのです。
その石がどのような石であったかは何も説明はないのですが、思うに、朝鮮では釜山近郊から紫水晶が沢山採れるそうですから、この時、神功皇后がお腰に着けた石は美しいその「紫水晶」ではないかと思うのですが?????
この「石」については日本書紀には
『時にたまたま皇后の生み月(開胎)に当れり。皇后、石を取りて腰に挿みて・・・
「事竟へて還らむ日に この土(くに)に産れ給え」と宣りたまひき』
と書いてあり、新羅遠征の前の九州におられた時だと思われますから、その石は九州の石だと思われますが、どうなのでしょうかね??
「日本の石か韓国の石か」こんなことで、例の「国民感情を害する」ほどの論争にはならないと思いますが、皆さんはどう思われますか???
なお、宣長先生は、
「この石は長崎からとれる赤石白石で、今も緒結にして使っている」
と説明がありますが・・・・・
まだ、新羅との戦いの最中の事です。「神功皇后」のお腹の御子が生まれそうになったのだそうです。そこで、神功皇后は「もう少し生まれるのを後に引き延ばしていただきますように・・・」とお祈りをして、そこら辺りに転がっていたのでしょうか「石」を取ってスカートの紐の部分に取り付けられたのです。
その石がどのような石であったかは何も説明はないのですが、思うに、朝鮮では釜山近郊から紫水晶が沢山採れるそうですから、この時、神功皇后がお腰に着けた石は美しいその「紫水晶」ではないかと思うのですが?????
この「石」については日本書紀には
『時にたまたま皇后の生み月(開胎)に当れり。皇后、石を取りて腰に挿みて・・・
「事竟へて還らむ日に この土(くに)に産れ給え」と宣りたまひき』
と書いてあり、新羅遠征の前の九州におられた時だと思われますから、その石は九州の石だと思われますが、どうなのでしょうかね??
「日本の石か韓国の石か」こんなことで、例の「国民感情を害する」ほどの論争にはならないと思いますが、皆さんはどう思われますか???
なお、宣長先生は、
「この石は長崎からとれる赤石白石で、今も緒結にして使っている」
と説明がありますが・・・・・