一刀の元にその「大恐猪<オオキナルイカリイヰ>」を切り殺したジンムは家来の者に、
「見るのも汚らわしい。そこら辺りに埋めなさい」
と云います。その家来はジンムの仮宿近くの山地(吉備中山)に大きな穴を掘ってその「猪」を埋めます。
その日は何ともなかったのですが、所がです。その次の朝になりました。天皇の仮宿周辺とは言わず、そこら辺り四方の村々にまで嗅ぐに絶えないような悪臭が立ちこめます。
「なんじゃこりゃ。どうしたんじゃろうかなー」
人々も大騒ぎします。その匂いを嗅いだジンムまでもが
「こりゃかなわん!!!どうにかしなさい。」
と一人の家来に命令します。その命令がくだった家来の者は、早速に、昨日埋めた猪の死体を掘り起こして、吉備の中山の向かいにある山(名越山)の麓に、その猪の死体を埋め直します。
すると、どうでしょう!!あれほど辺り一帯に臭く匂い立っていた悪臭も元の清らかに風に変わりました。メデタシ、メデタシです。
それ以後、家来が新たに埋め直した場所は吉備津地区の墓地になって現在にまでいったておるのです。それが「向山墓地」です。(神社のある宮内地区の家々のお墓も、総て、この向山墓地にあります。)
なお、この大怒猪の死体から発する悪臭を断ち切った家来に対してジンムは
「お前は悪臭を放つ猪の死体を掘り起こして、向山に埋め直し、この地域の人々に平安をもたらした勇者だ、これ以後、この地に居て人々の平安を守りなさい。・・・そうじゃ、お前に名前をつっけてつかわそう。臭い猪の死体を掘って埋め直した勇者だ。特別に以後
“堀家<ホリケ>”
と名乗るがよい。」
と。それ以後この人は吉備津神社の宮司となって宮守りの役目を果たしたと云い伝わっております。(吉備津神社の社伝より)
「亥」歳の最後です。香阪王の猪も、また、この吉備津の猪も「日本の神話」の中に入っているのです。あと数日で『亥』歳も終わります。こんなお話も言い伝えられていたのだということを覚えておいてほしいものだと思いながら書いております。
「見るのも汚らわしい。そこら辺りに埋めなさい」
と云います。その家来はジンムの仮宿近くの山地(吉備中山)に大きな穴を掘ってその「猪」を埋めます。
その日は何ともなかったのですが、所がです。その次の朝になりました。天皇の仮宿周辺とは言わず、そこら辺り四方の村々にまで嗅ぐに絶えないような悪臭が立ちこめます。
「なんじゃこりゃ。どうしたんじゃろうかなー」
人々も大騒ぎします。その匂いを嗅いだジンムまでもが
「こりゃかなわん!!!どうにかしなさい。」
と一人の家来に命令します。その命令がくだった家来の者は、早速に、昨日埋めた猪の死体を掘り起こして、吉備の中山の向かいにある山(名越山)の麓に、その猪の死体を埋め直します。
すると、どうでしょう!!あれほど辺り一帯に臭く匂い立っていた悪臭も元の清らかに風に変わりました。メデタシ、メデタシです。
それ以後、家来が新たに埋め直した場所は吉備津地区の墓地になって現在にまでいったておるのです。それが「向山墓地」です。(神社のある宮内地区の家々のお墓も、総て、この向山墓地にあります。)
なお、この大怒猪の死体から発する悪臭を断ち切った家来に対してジンムは
「お前は悪臭を放つ猪の死体を掘り起こして、向山に埋め直し、この地域の人々に平安をもたらした勇者だ、これ以後、この地に居て人々の平安を守りなさい。・・・そうじゃ、お前に名前をつっけてつかわそう。臭い猪の死体を掘って埋め直した勇者だ。特別に以後
“堀家<ホリケ>”
と名乗るがよい。」
と。それ以後この人は吉備津神社の宮司となって宮守りの役目を果たしたと云い伝わっております。(吉備津神社の社伝より)
「亥」歳の最後です。香阪王の猪も、また、この吉備津の猪も「日本の神話」の中に入っているのです。あと数日で『亥』歳も終わります。こんなお話も言い伝えられていたのだということを覚えておいてほしいものだと思いながら書いております。