吉備津宮には「正宮(主神=大吉備津彦命)」の他に
1)本宮(吉備津彦の父孝霊天皇)
2)新宮(吉備武彦命)
3)内宮(吉備津彦命の妃百田弓矢日売命)
4)岩山宮(地主神の建日方別)
これ等の神社は吉備津神社正宮の摂社で「吉備津五所明神」と呼ばれ、「創建の年代を詳らかにせず。」とあり、さらに
「奈良朝の頃より神宮寺の設ありて、僧徒も亦祭神に奉仕するに至りしより、社殿の建築にもこれより、其の影響を受くるに至りぬ。」
と、他に例を見ない珍しい神社だと書かれております。
そのことの分かる資料として、鎌倉期の末(1304年)後深草上皇の侍女の二条局が書いた旅日記「とばずがたり」に
「吉備津の宮は都の方なれば、参りたるに、御殿のしつらひも、社などはおぼえず、やう変わりたる宮ばら体に、几張などの見ゆるぞ、珍らしき。・・・」
とあり、鎌倉時代の末頃から、既に、吉備津神社は普通の神社とは大変其の趣が違っていたことがわかります。
なお、この「とばずがたり」の記述は「吉備津神社記」にはありませんが、藤井俊先生の
「吉備津神社」
から引っ張り出して書きました。
1)本宮(吉備津彦の父孝霊天皇)
2)新宮(吉備武彦命)
3)内宮(吉備津彦命の妃百田弓矢日売命)
4)岩山宮(地主神の建日方別)
これ等の神社は吉備津神社正宮の摂社で「吉備津五所明神」と呼ばれ、「創建の年代を詳らかにせず。」とあり、さらに
「奈良朝の頃より神宮寺の設ありて、僧徒も亦祭神に奉仕するに至りしより、社殿の建築にもこれより、其の影響を受くるに至りぬ。」
と、他に例を見ない珍しい神社だと書かれております。
そのことの分かる資料として、鎌倉期の末(1304年)後深草上皇の侍女の二条局が書いた旅日記「とばずがたり」に
「吉備津の宮は都の方なれば、参りたるに、御殿のしつらひも、社などはおぼえず、やう変わりたる宮ばら体に、几張などの見ゆるぞ、珍らしき。・・・」
とあり、鎌倉時代の末頃から、既に、吉備津神社は普通の神社とは大変其の趣が違っていたことがわかります。
なお、この「とばずがたり」の記述は「吉備津神社記」にはありませんが、藤井俊先生の
「吉備津神社」
から引っ張り出して書きました。