「吉備津神社記」には、まだ色々と我々一般の者には知らなくてもいいようなことが沢山書かれております。ついでのことにそれも書いておきますのでよかったら見てください。まずは
"神階及社格”
についてです。
神様の社会でも「階級」や「社格」があるなんて知らなかったのですが、これも堂々と書かれております。吉備津神社は大吉備津彦命をお祀りしてあります。彼らの御一門は、今まで見てきたように、国家の為の勲功が多く朝廷と強く結びついており、そのため神社としての格付が高いのです。それを示すものに平安時代の始め承和十四年(847年)には、既に仁明天皇から「従五位下」の神階を、その翌年には「従五位上」を、仁壽二年には「四位<シホン>」に進み官社に列せられ(「品<ホン>」は皇族に与えられる位です。)朝廷から封戸<フコ>二十戸が与えられています。その後「三品」「二品」を授けられ、藤原純友などの乱などの戦勝祈願などの功により天慶三年(940年)に「一品<イッポン>」に進み、神格の最高の地位を与えられたのです。それが明治四年に「官国弊社」、大正三年には「官幣中社」に指定されています。
なお、太平洋戦争後に官国弊社の制も廃止され、神格もなくなり普通の一神社となります。
"神階及社格”
についてです。
神様の社会でも「階級」や「社格」があるなんて知らなかったのですが、これも堂々と書かれております。吉備津神社は大吉備津彦命をお祀りしてあります。彼らの御一門は、今まで見てきたように、国家の為の勲功が多く朝廷と強く結びついており、そのため神社としての格付が高いのです。それを示すものに平安時代の始め承和十四年(847年)には、既に仁明天皇から「従五位下」の神階を、その翌年には「従五位上」を、仁壽二年には「四位<シホン>」に進み官社に列せられ(「品<ホン>」は皇族に与えられる位です。)朝廷から封戸<フコ>二十戸が与えられています。その後「三品」「二品」を授けられ、藤原純友などの乱などの戦勝祈願などの功により天慶三年(940年)に「一品<イッポン>」に進み、神格の最高の地位を与えられたのです。それが明治四年に「官国弊社」、大正三年には「官幣中社」に指定されています。
なお、太平洋戦争後に官国弊社の制も廃止され、神格もなくなり普通の一神社となります。