「白水郎子紀行」で岡西惟中は吉備津神社にあるお宝を
「社司に導かれて見めぐりぬ」
と書いています。
1)石の華表
2)本宮二字の額
3)七尺五寸の鉄の弓
と。
華表には「トリヰ」とルビがついておりますから鳥居のことでしょうが、現在、吉備津神社に参詣するための径には大鳥居は3つありますがそのうちのどれかは説明がなく、多分宮内にある大鳥居だろうと予測されます。
その鳥居を
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額について「竹門の御筆也。秋蚓春蛇の勢ただいけるものの如し」とあり。「竹門」とは誰のことかよくわかりません、現在拝殿の虹梁に掲げてある額で
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ですが、彼の見た額ではありません。その二字「秋蚓春蛇の勢ただいけるものの如し」の額はどこに行ったやら???
百合若大臣が持っていたという「鉄の弓」ですが、現在の神社の宝物の中には入っているかどうかわかりませんが???
蛇足ですが、現在の社宝として藤井俊先生の「吉備津神社」には
1)丸山応挙の虎絵図
2)風月灯籠(源頼政奉之)
3)鉄灯籠(鎌倉期)
4)狛犬
5)銅鐘
6)刀と弓
など沢山な神宝が記されています。
「社司に導かれて見めぐりぬ」
と書いています。
1)石の華表
2)本宮二字の額
3)七尺五寸の鉄の弓
と。
華表には「トリヰ」とルビがついておりますから鳥居のことでしょうが、現在、吉備津神社に参詣するための径には大鳥居は3つありますがそのうちのどれかは説明がなく、多分宮内にある大鳥居だろうと予測されます。
その鳥居を
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額について「竹門の御筆也。秋蚓春蛇の勢ただいけるものの如し」とあり。「竹門」とは誰のことかよくわかりません、現在拝殿の虹梁に掲げてある額で
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ですが、彼の見た額ではありません。その二字「秋蚓春蛇の勢ただいけるものの如し」の額はどこに行ったやら???
百合若大臣が持っていたという「鉄の弓」ですが、現在の神社の宝物の中には入っているかどうかわかりませんが???
蛇足ですが、現在の社宝として藤井俊先生の「吉備津神社」には
1)丸山応挙の虎絵図
2)風月灯籠(源頼政奉之)
3)鉄灯籠(鎌倉期)
4)狛犬
5)銅鐘
6)刀と弓
など沢山な神宝が記されています。