私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

まだまだ「白子郎子紀行」は続きます

2020-08-04 06:41:56 | 日記
 岡西惟中の吉備津神社の探索は続きます。彼は江戸前期の談林派(西山宗因の一派)の俳人です。その吉備津神社で読まれた句がを幾つかこの紀行にあります。それらを、あまり面白くもないのですが、順次ご紹介しますのでよろしかったら・・・・。まず、

     ”退之しらすや御釜の冬になるを以て”

 です。
 「なんのこっちゃ」と最初はおもいます。「しらす」。もしかしたら「白子」かとも?????どうも意味が通じません。・・・ややあって「知らず」かと、そうすると、「退之」は人の名では・・・という思いが。そうだ、唐詩を代表する一人で中唐のあの「韓 退之<カンタイシ>」ではないかと・・・早速、彼の詩のいくつかを見ます。その中に
   「声ありて形なきものは物にこれあり。風霆<フウテイ>これなり」
 を見つけます。「風霆」とはあの風神雷神の絵の元になる言葉で、風と雷のことです。雷は夏の付き物で、決して、冬には鳴らないものだと考えられていたのだそうです。だから、惟中が聞いた吉備津神社のお釜から流れ出す雷のような音は一年中、何時でも、冬にでも鳴るのですから、
 「きっと韓 退之も聞いたこともないだろう冬に鳴る雷のようなお吉備津神社のお釜のものすごい音を、今、ここでその音を聞いて私は大いに驚くやら感動するやらしていることよ。」
 という句ではなかろうかと思っておりますが、どうでしょうかね。漢文の先生にお聞きしたいものですが・・・・

  また、7・7・5って談林派の俳階???  これまた俳句の先生に?????