吉備津神社にお参りして惟中はあたかも和歌に精通しているかのように沢山の歌を書き残していますが、やはり連歌師としての矜持を示しています。それは、細谷川や吉備の中山ではありません。
この吉備津神社の東5,6丁の所へ「有木」がありますがそこも尋ねて一句作っています。あの藤原成親の流刑地です。
「ありき山をたちいりて
”ここになけ山あり木ありほととぎす”
と。「たちいりて」と書いていますので、成親が難波経遠によって惨殺された場所で詠んだ句だと思われます。ただ辺りは生い茂る初夏の木だけがうっそうと生い茂る寂しげな山の中の荒れ地です。せめてホトトギスだけでもこの地に来て「亡き哀れな成親を慰めてくれ」という鎮魂の歌です。さすがは惟中だけあるとしきりに感心しているのですが・・・・
その場所を・・・
この吉備津神社の東5,6丁の所へ「有木」がありますがそこも尋ねて一句作っています。あの藤原成親の流刑地です。
「ありき山をたちいりて
”ここになけ山あり木ありほととぎす”
と。「たちいりて」と書いていますので、成親が難波経遠によって惨殺された場所で詠んだ句だと思われます。ただ辺りは生い茂る初夏の木だけがうっそうと生い茂る寂しげな山の中の荒れ地です。せめてホトトギスだけでもこの地に来て「亡き哀れな成親を慰めてくれ」という鎮魂の歌です。さすがは惟中だけあるとしきりに感心しているのですが・・・・
その場所を・・・