惟中が書き記している句に宗祇法師の
"朝霧のこれしもあけの井かきかな”
があります。宗祇(室町後期の連歌師)もこの吉備津神社に詣でていたのだそうです。宗祇は「連歌師」ですからこの句の前後に句があったことは確かですが(他の何人かの句が)、その中の宗祇だけの句がここには紹介されているだけです。できることなら、その時の一連の歌が知りたいのですがどこにあるのか不明です。俊先生も何もお書きになっていらっしゃいません。
それはともかくとして、古来より、このように多くの文人たちが吉備津神社に詣でて、細谷川なり、吉備の中山なり、ここに見られるような有木なり多くの歌にしたき名所があり、それを詠んでいるのです。
なお、これも蛇足ですが、宗祇の句にある「井かき」とは「斎垣」のことで、
「まだ明け初めぬ吉備津神社に朝霧が立ち込めている。これも尊い神社の垣根であることよ」ぐらいの意味ではと思いますが・・・・どうでしょうか。この句の前後に詠まれたであろう七字の句も是非知りたいのですが・・・・・以下は、私の駄洒落のつもりで「朝霧の・・・」を繋いで書いてみましたが???
・開けやらぬ空に 鴉の声すなり
・細谷の 木立の中の 風の音
・霧谷川に 流れゆくなり
・朝霧のこれしもあけの井かきかな
・夕日に紅き 古き宮影
と。
これって私の薄覚えに聞きかじっている連歌とやらになっておるのでしょうかね?????
"朝霧のこれしもあけの井かきかな”
があります。宗祇(室町後期の連歌師)もこの吉備津神社に詣でていたのだそうです。宗祇は「連歌師」ですからこの句の前後に句があったことは確かですが(他の何人かの句が)、その中の宗祇だけの句がここには紹介されているだけです。できることなら、その時の一連の歌が知りたいのですがどこにあるのか不明です。俊先生も何もお書きになっていらっしゃいません。
それはともかくとして、古来より、このように多くの文人たちが吉備津神社に詣でて、細谷川なり、吉備の中山なり、ここに見られるような有木なり多くの歌にしたき名所があり、それを詠んでいるのです。
なお、これも蛇足ですが、宗祇の句にある「井かき」とは「斎垣」のことで、
「まだ明け初めぬ吉備津神社に朝霧が立ち込めている。これも尊い神社の垣根であることよ」ぐらいの意味ではと思いますが・・・・どうでしょうか。この句の前後に詠まれたであろう七字の句も是非知りたいのですが・・・・・以下は、私の駄洒落のつもりで「朝霧の・・・」を繋いで書いてみましたが???
・開けやらぬ空に 鴉の声すなり
・細谷の 木立の中の 風の音
・霧谷川に 流れゆくなり
・朝霧のこれしもあけの井かきかな
・夕日に紅き 古き宮影
と。
これって私の薄覚えに聞きかじっている連歌とやらになっておるのでしょうかね?????