本能寺の変直前に明智光秀と連歌を詠んだといわれている秀吉時代の連歌師である
"紹巴”
もやはり吉備津神社に詣でて詠んだと書かれています。
"しけりそふ木の間にほそし谷の水”
連歌師だけあって古歌の「細谷川の音のさやけさ」を、谷川の両岸にうっそうと茂り合う大木の間を、ちょろちょろと、ちっぽけ音を響かせながらちっぽけな谷間に流れ下る谷の水の大変清らかな様を「さやけさ」という物の形容を現す言葉をでなく、間接的にその心までを句の中に取り組んで表現していると感心させられます。
大と小を間接的に対比させながら読みこんでいる紹巴のこの句は、細谷川を読んだ多くの他の歌と比較しても、特に、名句の中に入る一首ではないかと私は考えています。
でも、此の句に出会えるのは、この惟中の「白水郎子紀行<アマノコノスサビ>」だけですが・・・・・・
その細谷川を
"紹巴”
もやはり吉備津神社に詣でて詠んだと書かれています。
"しけりそふ木の間にほそし谷の水”
連歌師だけあって古歌の「細谷川の音のさやけさ」を、谷川の両岸にうっそうと茂り合う大木の間を、ちょろちょろと、ちっぽけ音を響かせながらちっぽけな谷間に流れ下る谷の水の大変清らかな様を「さやけさ」という物の形容を現す言葉をでなく、間接的にその心までを句の中に取り組んで表現していると感心させられます。
大と小を間接的に対比させながら読みこんでいる紹巴のこの句は、細谷川を読んだ多くの他の歌と比較しても、特に、名句の中に入る一首ではないかと私は考えています。
でも、此の句に出会えるのは、この惟中の「白水郎子紀行<アマノコノスサビ>」だけですが・・・・・・
その細谷川を